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舌で感じるそれ、に加えて、思い入れというものによって、より、おいしく感じたりする。
生しらすは、もはや愛であると言っていいと思うほどに、すきなたべもの。
実家にいたころは食べたことがなく、初めて食べたのは、二十歳の、夏の終わりの祝日。
まぁ当然に観光客で溢れかえる江ノ島で、お昼も十にすぎた暑い午後、ようやく入れた小さな店で、まだ知らないたべもののくせに、なんの迷いもなく、当然のように頼んだと思う。
生しらす丼と、江ノ島ビール。
まだその先に、この人の妻になる、だなんて。夢にも思っていなかったころ。
夢のように天気がよく、海は空は美しく、気だるくて楽しくて、夢であってほしいくらいに暑く、冷えた瓶ビールとぷるぷるの生しらすは、夢のようにおいしかった。
昨日は近所のスーパーで買った生しらすを、夕飯に食べた。
ときどきしか売っていなくて、みつけると、今夜の献立予定なんてもう一瞬にして変更、夫がかえったら、待ちきれずに玄関で言う。今夜は生しらすだよー!
夢のような思い出。
あのときあぁだったねを思い出せるいつも、おいしいものは偉大だなぁと、こころから。PR -
町の音を聞いているのがすきだなと思う。
車のエンジンの音。郵便バイクの音。近所の保育園の子たちのにぎやかな声。先生の声。ヒールの人の足音。誰かが扉を開け閉めする音。鳥の鳴き声。飛行機の音。ときに、自転車の、ちりんちりーん。
深夜や雪の日の、しんと静まり返った空気もまたきれいでいいものだけれど、
こうしてちょっと五月蝿いくらいの、生活の音がある昼間はなんだかほっとする。
町の音とはつまり、人の生活、気配なのだ。
部屋にいて、あ、雨だ、と気づくのはいつも、車のタイヤの音にすこし、水を含み始めた時。
今日はまだ梅雨の晴れ間。
町じゅう、からっと乾いた音がする。 -
最近、牛乳が飲めるようになった。
ミルクコーヒー(カフェオレではなく)、イチゴミルク、ミロ。ココア味のコーンフレークにかけて器に残った汁。ヨーグルトもクリームシチューも、ちょっと違うけど無調整の豆乳すら好きだったのに、牛乳、そのものの味がどうしても苦手だった。
ミルクプリン、という名の牛乳を固めただけのミルクゼリー(しかしプリンと呼ぶ方が断然自分がうれしくなるのでこれはプリン)、を頻繁に作るようになって、考えてみたらこれってほぼそのものの味なのではと、今さら気付く。
蜂蜜をかけたりジャムをのせたり、しなくても、食べられるのだし。
あんぱんとかドーナツとかに、よく、牛乳だと聞くけれど、しかしやっぱり、そこはコーヒー。
こういう蒸し暑い季節こそ、苦く濃く熱いコーヒーがおいしくて、今月は、深煎りの豆ばかりを注文した。
いま思うと、娘に牛乳を飲ませたくての、ミロでありコーンフレークであり、アンド卵を食べさせたくての、ホットケーキだったのかしら。
たんぱく質、カルシウム、鉄。
このところまたすこし、意識しているところです。 -
ようやくからりといい天気、届いたばかりのリネンをたっぷり水に浸け、ざぶざぶ洗って干す。
窓越しの干した布越しに、明るい光が透けてみえるのがとてもきれいで、はぁぁ、縫いながら、うっとりと見惚れる。
リネンはうつくしい。
日々、生きていると、どうしても出来ないことやうまくい
かないところにばかり気がいってしまうけれど、できること、そこにあるものをしっかり見る。
たくさんの手に入らなくなったものたちや、かなわないと知ったことを、まぁ、そんなこともあるよねって、さらりと流して。
たくさんの、新しい、を重ねるこの頃です。
はじめまして。
どうぞよろしくねと。 -
検索すればすぐにわかること、を、でもそうしないで夫の帰りを待って聞きたいのは、その、時間を共有したいからなんだなと気づく。
古い映画のことを、たくさん教えてもらった。
意味とかなくても、無駄でも全然よくて、小さなたのしいとかうれしいとかを、もっと、見失わないよう。