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まだ14時前なのに日暮れのような空。
縫い終えて電気を消して、あまり暗さにおどろく。
今日もまたひたすらボタンを付けていて、ずっと下向き、あぁもうここまでかなぁと感じて、手をとめて、上を向く。
天井を見る。すこし目を閉じる。
深呼吸。
ふー、もうひとつ付ける。
疲れたら、上を見たり、手を真上にあげたり。
景色を変えてみる。
果たしてなにになるかというと不明だけれど、その一瞬でとてもすっきりする。
呼吸を深く。力を抜く。背中を伸ばす。口角をあげる。
なんでもないようなのに、意識していないとできないことを、疲れたら、まず。PR -
年々、胡瓜がおいしいなぁと感じるようになってきたのは、
年々地球が暑くなっているから、なのかしら。
胡瓜はすごい。
台所に立つのがつらいこの季節に、皮を剥かず、火を通さず、なんなら塩をつけるだけで食べられるあのすばらしさ。
みずみずしくて、クリアでシャープで、いかにも栄養のない味がする。
本当にないらしく(そういえば結婚してすぐの頃はそれを理由に買わなかった)、
でもこんな暑い日にはあれが、いっそ清々しい、神々しいとさえ思う。
今日はわかめと三つ葉とあわせて、白和えにした。
残りはピクルス。
明日からの楽しみ。
あんまり細かいことを気にしすぎるのをやめよう、と思う日々。
胡瓜みたいにすかすかでもいい。
風通し良く、まぁまぁ楽しく過ごせたら。 -
いやしかしやっぱりキッチンに時計がないのはとても不便だわと、朝からものすごく蒸し暑いけれど、時計を買いにいく。
無印でちいさなアナログ時計を買い、ついでに覗いたこども服があまりにかわいいのでそれも買い、包んでもらって、そのまま郵便局に行き、甥っ子宛に送る。
これを着てもまた、すごくかわいいだろうなぁ。
誕生日でもなんでもないのだけど。
帰りにスーパーで、鰻を買う。
去年もその前も不足だったような。今年は売場に茶色がいっぱいならんでいて、お寿司もお弁当もあって、まるで鰻屋。
そういえば入り口はいった瞬間には、全力で桃のにおいがした。
あまいあまい。
夏だなぁ、と感じる。
土用の丑の日。
明日が大暑。
時計をかけて、鰻を食べて。
久しぶりの鰻はおいしかった。
買い物に行ったあとの夜は、なんだかとてもうれしい。 -
予報外れに晴れ、晴れたと思ったらまぁ、急に恐ろしく蒸し暑い。
もうとてもじゃないけどココアなんて飲みたくないなぁと思う朝。
窓を開けて外が静かで、あぁそうだった日曜日。
近所の保育園がお休みで、あの賑やかな声のない朝。
いつも通り洗濯して、掃除して、すでに、はー暑い、いま何が欲しいかって、つめたい水がのみたい。
昨日のあの夕方のひんやりが、もうずいぶんと遠いことのように。。
からっと、すかっと、湿度なく爽やかに晴れる日がほんとうに待ち遠しい。
まだまだ先。
言っても涼しくはならないのだし、今年こそは、あんまり嘆かないで、うまく明るく付き合いたいなぁ。 -
広く、多く、なればなるほど却って不自由になっていく気がするのは、あまりにメニューの多すぎる店でわくわく、しかし頁をめくりながら途方に暮れてしまうあの感じに似ていて、
やみくもに拡げることではなく、まずは問うこと、なのかなと思う。
ジョコビッチの本にあった「身体の声を聞く。」
買っておいて結局グルテンフリーなんてまったくできていないのだけど、食べ物に限らず、今の自分、を問うこと、なんとなくにしてしまわないことは習慣になっている。
天気や変化するものたちに、いちいち揺れる、HSPだから仕方がないのだと言ってしまえばそうなのだけど、それを悲しいとか疲れるとか言わずに、だからこそ気づけて良かったなぁって。
いい方に捉えたい。
この頃は、身体の声、甘いでも辛いでも酸っぱいでもなくて、低気圧続きの滞るかんじ、香りのいいものを欲している気がして、
思いたって、朝の白湯に料理用のローズマリーを入れて飲んでみたら、まぁ草、想像以上に草、あまりに、残念ながらこれは違ったらしい。
夜になって、またやはりちょっと冷える、そういえば冬に飲んでいたのを思い出して、無糖ココアにシナモンをいれる。
苦くて、辛くて、シナモンがちょっぴり甘い香りがして、熱く、まさに求めていたものだなぁと落ち着く。
暖まるとすっきりして、脳みそが軽くなったような感じがする。
七月も下旬が来るというのに、自分で思っているより冷えているんだろうな。
いろいろなものがありすぎる。
多くの人がいて、商品があり、選択肢が宇宙みたいにあるけれど、自分はひとり、身体はひとつ口はひとつ。
食事や物に限らず、その日の仕事や人との関わりも、なんとなくにしない。それでいいのか、時に立ち止まって考える。もっとひとつひとつを大事にしたいと思う。
問う。
こたえは自分の内側からしか出てこなくて、小さな、けれど、宇宙よりもずっと、それが求めているもの。