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ただ単に、佇まいがいい、ということがあるけれど、第一に、佇まい、という言葉の響きがまず、とてもいい。
佇む、とか、佇んでいる、となると人間味をおびて、またすこし違って聞こえる。
それにしても。
ただなんとなくいいから、という感覚ばかりを大事にして生きていられること、安全そのものみたいな毎日を、もっと感謝していたいと思う。
しっかり晴れて暑い日。
重い身体をなんとか動かして、今日はカレー。
夏野菜もりもり入れて、辛い酸っぱいキーマカレー。PR -
なんとなく気分が沈むとき、日常のひとつひとつを適当にしないことで、少しずつ上向いてくるようで。
熱中症になるまいと、あんまりがんばらないほうがいいらしい夏、がしかし、暑いことよりもその、暑いからもう簡単でいいやばかりになるそれが、いっそつらいように思う。
立て直す術がない感じ。
めんどくさいを含めて愛してしまっていることたちを、少しずつは秋なのだしとがんばってみる。
たのしい。
それにやっぱり、めんどくさいとか言わずにきちんとしたら、ごはんが美味しい。
曇ってちょっとは涼しいかと期待したのだけど、まったく予想外れ、夜、台所で、まんまと逆上せた。
シャワーを浴びて、ひと休み頭を冷やす。
まだやはり夏なようです。
えぇ、調子にのりました。
皆さまくれぐれもお気をつけください。 -
降ったり曇ったり、ときに晴れたり、不安定な夕方、薄暗い部屋のダイニングの椅子に腰掛けて、宅配を待ちながら、のんびり本を読む。
あれやこれやと小さく動きながらでは、却ってそわそわ過ぎない時間は、読書に充てるとあっという間。
短編をひとつと、さてもうひとつを読み始めたところで、食材が届く。
片付けて、そのまま一気に夕飯の準備をする。
コーヒーについて書かれた随筆を読んだのだけど、あまりに当たり前にありすぎるそれも、そういえば大昔は、日本にも、どこにもなかったのだと気づく。
そうして、いつだか何かで聞いたチョコレートの、ガーナの子どもたちの話を思い出して(収穫している彼らの生活の話)、
当たり前みたいにそこにあるものも、誰かによって存在していることを、自分がいかに充たされているかを考える。
甥っ子が、ペットボトルのキャップを回した。
満面の笑み。
どうやらとてもうれしいらしい。
目の前の存在に感動したり感謝したりする才能は、彼らのほうがずっと長けている。
いつものコーヒーも、届けてもらったばかりの野菜も、ちゃんと、大事にしよう。
それにしても、この頃毎日、夜になるとたたきつけるように雨が降る。
関東ではそれくらいのものだけれど、昨年の、電車が止まりお店が閉まり、夫の仕事が休みになったあの台風を思い出す。
こわいですね。
大きな被害がありませんように。 -
ちょっぴり模様替えしてみましたー。
変わったこともおきず、たいしてなにもないわたしの毎日に、しかし捏造して書くのもなんだかなぁで、ええとつまり、いつも見てくださってありがとうございます。
また昨日今日はとびきりに暑い。
違うのは日の短さだけで、しっかり真夏、暑すぎる晴れか蒸し暑い雨かの繰り返し。
台風、心配ですね。
まったくあれもこれも心配な時節だけれど、身がなにより。どうか打ちのめされないように。
皆さまどうぞお気をつけて。 -
カッターで紙を切るのが苦手で、髪の毛でいう後れ毛みたいなものがいつものこる、なんだか美しくない、から、いつも夫に切ってもらっていた。
わたしの倍は手先が器用だとみえる夫の切っているところを観察すると、とてもゆっくり、何往復もさせてすこしずつ切っていて、
慎重に、丁寧に、紙にたいして真摯であることに気づく。
切り方を教えてもらって、三角定規を借りて、最近はわたしも後れ毛を残さず、真っ直ぐに切れるようになった。
必要なものは器用さではなくて、時間。
そういえば、夕方時間がないとあわてていい加減に切った厚みの野菜は、まったく本当にいい加減な味がして、ごめんねちょっとかたいよねと謝る。
きちんとしたい。
でも毎日のこと、きちんと出来なくてもまぁ。
祖母の、幾つもつながった沢庵はしかし、それはそれでみんなで笑って、楽しかったなぁ。