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"文"カテゴリーの記事一覧

  • 二十歳の年末の思い出
    気温はぽかぽか、だけれど北風が冷たい。
    郵便局まで行くのにちょっといつもより長く歩いたら、寒いなぁと感じる。雲ひとつない青空で、立冬ぴったりにはぁそれっぽい。
    安堵のような、不安なような。

    昨日、夫と昔話をしていて、二十歳の冬の話になった。
    その年末、も年末の、クリスマスイブからスタートで友人と二人、都内で写真展をしたのだけど、前夜の搬入がなっかなか終わらず、とうとう終電を逃してしまった。
    でもなんだかそのギャラリーの人や友人(二人は自転車だった)、に心配かけたくないしそれを言い出せず、近所に友人宅があるからそこに泊まるの、と言って、とりあえず電車が動いている駅まで行って、ホテルも無い駅、ネットカフェに泊まった。
    ほとんど寝られず、漫画を読んで朝まで過ごし、始発の京王線に乗り、郊外の町まで帰った。シャワー浴びて、倒れるように寝たと思う。

    もちろん翌朝は寝坊して、どうにか昼に搬入の続きをしに行って、午後は夫と会って(当時は彼氏ですよね)、渋谷でカレー食べて、池袋でプラネタリウムに行った。
    あまりに眠く、星はひとつも見た記憶がない。

    その夜、婚約指輪をもらった。

    それから数日普通に仕事して、年末に搬出を終えてから、夜行バスに乗って実家に上客以来初めての帰省をした。
    もたもたしていて直行便がとれなくて、大阪で乗り継いで。その大阪の空き時間にはスーパー銭湯に行った。
    帰った田舎ではもれなく駅前で友人とバッタリ会って、帰った実家で母が用意してくれた夕飯は、塩サバだった。クリスマスの残りの材料があったから、と言って、ショートケーキもあった。

    二十歳ごろのことってなんでかあまり覚えていない(たぶん人生で一番忙しかったから)、けど、この数日のことはまぁまぁ覚えている。外で朝を迎えたなんて、これを含めて数回だしね。

    だいたい今思えばタクシーに乗れば済むものを、あぁお金もなかったんだろうな、そして、体力はあったんだろうなぁと思う。。。
    浮かれまくっていた11年前の話。

    でもあの日の塩サバはなんだかとても美味しかったのだ。
    普通で。
    母親の用意してくれる普通のごはんってなんかしみじみおいしいですよね。
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  • 人は死んだら神さまのごはんになるのだろう
    数年前、精神的に落ち込んでいたときに、子供もおらず外で働くこともできない自分は一体なんのために生きているんだろうかと、社会にとってなんの役にも立っていない、と考えて、考えて考えて考えた結果、なのかな、ふと、神さまのごはんになるのだと気づいた。

    人間が食物連鎖の頂点かどうかなんてわからない。
    わたしが今日食べたトマトや豚肉と何ら変わらず、生きて、そしていつか、ごはんになる。
    神さまにとっておいしいごはんになることは、寿命を全うすることで、自分だってしっかり熟れた果物や、所謂、食べ頃で食べたいし。

    あの、国語の教科書にのっていた、宮沢賢治のやまなし、に通ずるところだと思うのだけど。

    最近は、相も変わらず、縫うの遅い選手権があったら優勝レベルの遅い仕事で、いや家事も歩くの食べるのなにもかも遅い、けど、そんな昔みたいに絶望しなくなった。

    先進国、経済大国においてわたしのような生き方は推奨されないだろう。
    でも、生きていて良い、って思えるのは、その、神さまのごはんになる、っていう気付きに加えて、家族のためにがんばろう、ということで。
    って当たり前すぎるような話だけど。

    夫の好物作って喜んでもらえたらうれしい。
    母が妹が甥っ子が幸せだとうれしい。

    役になんて立たなくても良いって、そうだ、道端の花とかそうだよね。
    あ、かわいいな、っていうそれでいい。
  • 懐の深い人になりたいね
    今日から夫は出勤。
    だけれど昨日の実家からの帰り、もう朝ごはんの準備する体力は残っていなくて、コンビニでおにぎりを買った。

    自分のも買って、気持ちとしては100年ぶり、、正確にはたぶん4年ぶりとか?くらいに、市販のおにぎりを食べた。
    最後に食べたのは海苔がフィルムに包んである三角の、具の入ったあれで、でも今朝はそういうのじゃなく、まっしろの、塩むすび。
    びっくりした。
    ちょっと、なんというか、強烈な味がした。

    このもう8年くらい、週に5日の朝ごはんは、夕べ自分の握った塩おにぎり。
    帰省した時に妹が握ってくれたちいさいおにぎりはとても美味しかったし、それ以来の、いつもと違う味をちょっと楽しみにしていて、でもなんだろう、想像と、というか、記憶とだいぶ違う味だった。
    いやコンビニのあの塩むすびを食べたのなんて、10年以上前に一回か二回か、くらいのものだけれど。
    普段インスタントや市販のものをなるべく避けているわたしには、想像出来ない世界だったらしい。

    記憶と違う、そういうことはいくつもある。
    懐かしいねって買ってみたお菓子を、え、こんな甘かったっけ、、って食べきるのに苦労してヨーグルトと一緒にしないと食べられない、とか。

    子どものころは、田舎で、そもそもコンビニというだけで憧れだったんだけどな。
    一年に一回も行かない今。

    一昨年かな、初めて見て、わぁっと感動したとある古い映画を、こないだまた見て、良かった、けれどそこまでの感動にはならなくて、それにも少し似ていて、
    知らないことが多い方が感動できる、なんて当たり前のことで、年を重ねれば重ねるほど、既視感、
    でもね、わぁっと感動しなくても、もうそれ食べたい、って思えなくなっても、それ自体がダメとかじゃ全然なくて、もう今の自分には必要のないもの、っていうだけのことで。

    正しい間違っている、じゃない、あくまで、わたしにとって、必要があるかないか。 

    そういうので言うと、夫の母はすごい。
    85になり、もうあれこれめんどくさいのよ、と言ってほとんど料理をしないのだけど、といいながらも作ってくれたお雑煮は美味しかったのだけど、元々、家庭的というよりは外で働いて来た人で、まぁ、わたしとは全く違う感覚の女性。

    でもわたしに対して、働きなさいよ、子ども生みなさいよ、みたいな風はまるっきりなくて、昨日も、ちょっと持って行ったサラダを食べながら、こんなの切るだけでも大変だったでしょう、すごいわねぇとか、そう本当に優しく言ってくれる。
    この親にしてこの息子なんだなとつくづく。

    人それぞれいろんな価値観がある、
    わたしの二倍以上、もはや三倍近く生きている母の、そんなところは見習いたいなと思う。
  • 母のグラタン
    昨日母が、久しぶりにグラタンを作った、と言った。
    この暑いのに?と聞いたら、甥っ子が夏休みで給食がないから、乳製品を摂らせたかったらしい。
    好き嫌いの多い彼も、ばぁばのグラタンはもりもり食べるらしい。

    母のグラタン、といえば。
    (この話、前にも書いたと思うので、あぁ聞いたことあるなって方もいるかもですが、また)

    上京する前、家を契約するために一旦東京へ行く日。
    当時付き合っていた人と出かけていて、夕方家に帰って、さぁお風呂に入って準備して夜行バスに乗ろう~と思ったら、母が台所で、グラタンを作っていた。

    そもそも母がこんな早い時間に家にいること自体がめずらしく、しかもグラタン。
    びっくりした。とてもうれしかった。
    この日はエビとマカロニと野菜、玉ねぎとすこしの人参だったかな、の入った、いやぁ何年ぶりだろう。
    白くてあつあつの愛しいグラタン。
    でもわたしはそれを、半分も食べられなかった。

    ほんの数時間前、遅いランチにチキンドリアを食べたことを呪いながら、早く行こうよってとっくに食べ終えた妹に急かされながら、食べたい、美味しい、苦しい、でもこれ無理に突っ込んだらバスに酔うことは見えている、あぁ、冷めていくホワイトソース。。。

    もうやめとき、ってけらけら笑いながら言う母。
    あのときの悲しさといったら。

    子供の頃は、冷蔵庫のなか、グラタン皿に既にセットされていたそれの、ラップを剥がして、自分でパン粉をかけて、まずレンジですこし温めてトースターで焼くよう言われていた。
    妹とふたりで食べるのに、トースターにふたつは入らなくてひとつずつ焼いて、熱々のを網の手前に置いた平たい皿に滑らせて。
    作って置いてくれていたごはんを食べる、だけど、グラタンにおいては、寂しい感じもしなかったな。

    母のグラタンは、全然特別でもなんでもない、普通のグラタン。
    チキンの時とエビの時があった。
    本当に普通。
    でも、なんだろう。
    あのマカロニの柔らかさとか玉ねぎの厚みとか、やっぱりあぁあれが食べたい。

    母のグラタンを見たのは、その夜が最後。
    今度帰省する時にはグラタン、作ってもらおう。今度はちゃんとお腹空かして。
  • 苦しいと楽しいの狭間
    夜から雨予報、どんよりだけど晴れ間も見えるなぁの朝。
    信じて洗濯物干していたら、突然、どたどたっと何かが倒れたような音がして、見たら、すでにどしゃ降り!

    え?ほんの10秒前まで晴れてたじゃん!、大慌て取り込んで、すぐ洗濯機へ。濯いでもらうあいだにハンガーと洗濯ばさみを洗って拭いて、、、いやほんの数分のことだけれど、なんか、気の遠くなるような作業、、、終わった頃にはもうすっかり止んでいた。
    いったいなんなのか。。
    今日に限ってちゃんとナウキャスト見なかったわたしが悪いかな。

    びくびくしながら買い物行って、降らずに帰れて、やっぱり明るいうち縫って。
    夕方からざあざあの雨。
    生ぬるい、蒸し暑い日だった。
    久しぶりに上着要らず、冷えを感じずにいられた。

    心がかさかさしていたのはだいぶ直った。
    相も変わらず縫ってはコースターひとつに何時間も何日もかかり、毎晩の台所の片付けに二時間以上、休みの朝なんて焼いて食べて片付けたら三時間半が経っているという始末。
    性格かもしれないし、ちょっとどこかおかしいのかもしれない、けど、どんなに苦しくともそうしたいのだから、仕方がないのだと考える。

    今日はまた野菜を買いすぎて、置くところないし傷むのつらいしで、一時間かけて刻んだ。
    無心になる夕方。
    そんなに夕飯にも作り置きにもいらないので、おやつ代わりに少し食べて、あぁいったい何をしているのか、、

    そんな風です。
    遅い遅い時間ない手がいたい、とか言いながら、明日も結局そんな風だろうな。
    今日は人参玉ねぎ牛蒡と紫キャベツを永遠みたいに切ったけど、明日はそれが人参玉ねぎ生姜パプリカになる、だけのことだ。
    今日大方の形まで行ったコースターの、明日は角を補強するのだ。

    苦しくても、間違っていても、これが楽しい。
    こんなことに悩んでいるなんて、わたしは本当に恵まれているよう。