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一年ぶりに四国の実家へ、の前夜であった昨夜。
着るもの持ち物の準備を終え、四日間しっかり美味しいものを食べられるようにと極めて軽めにした夕飯と、明朝のこれまた極めて軽めお弁当の準備も終え、さてあとは洗い物してお風呂入って寝るだけ、明日は五時起き、っとそんなタイミングに母からLINE。なんだろう、
「妹がアデノウイルスに感染して高熱で、明日中止した方がいいかも」
はて、これは夢かしらん。
母と電話して相談する。
妹は?もう寝たよ。まだ九時。
もしも来てから感染って帰れなくなったらまずいから来ない方がいいよ、
そうだね、仕方ないね、会いたかったなぁ、あぁぁ。
飛行機キャンセルします。また今度だね。お大事にね。あぁぁ。。
先週、甥っ子が熱を出していたのを、行き始めたばかりの小学校で疲れたのかな知恵熱かなぁと言っていたのがそれだったらしい。子供はすぐに治るよう、そして今朝妹に続いて母も高熱を出した。あちこち痛く、目が腫れるらしい。
昨年の暮れ、夫の妹夫婦もまた高熱を出して、いやあの時期はものすごくいろいろ流行っていたよね、で、今年はお正月も中止だった。
わたしたち夫婦はコロナのあと高熱で寝込むようなことはずっと無く、でもじゃあ健康かと言われればいやあの荷物にどれだけ薬が入っていることか。
二人揃って持病ありの状態で、だからこそ母の電話での話ぶりも、今のあんたは感染したらやばいじょ、やめとき(方言)というふうで、なんかそれがまた情けなく、そして過るのはそう、これが厄年というやつか。。夫は後厄わたしは本厄。
電話を切り、飛行機をキャンセルして、半額は戻ってくるらしい、そしてすぐに電話をかける。一番好きな店に。
明日の昼空いてる?
空いてるよ、どうしたの?
よかった!明日聞いてください!
そして今朝。七時を過ぎてから起き、普通に準備して電車に乗って出掛ける。
聞いてもらう。
日ごと変わるメニューのなかに、前回行った時にとっても美味しかった!お代わりしなくて後悔したよーと話したアップルパイを見つけて、ある!うれしい!と注文したら、
「昨日電話もらったからさ、シェフが朝早く来てさきさんのために作ってたよ」と聞かされる。はて、これもまた夢かしら。。。
とびきり美味しいごはんの最後のデザート、アップルパイ。
ひと口食べてもうなんか訳のわからない感情になって、夫に、泣いていいよと言われるも、いや化粧とれるからだめだよと、なんとか堪える。
コーヒーと、他のデザートを食べ終えて、最後のひと口のあとにもまた、なんとか堪える。
アップルパイは、妹の好物なのだ。
ふたりで東京に住んでいたころ、当時まだ珍しかったアップルパイ専門店まで歩いたあの三軒茶屋の、世田谷公園の、鳩がいて、人はまばらで曇りで、あぁあれは六月だったかな、そんなことや、
その後妹が大阪でひとり暮らしをしていたアパートの部屋で一緒に食べた、これもこうやって焼くと美味しいよね、スーパーの袋入りのアップルパイのことや、
去年ふたりで行ったビストロのタルトタタンに妹が感動していたことやを思い出して、あーこれ、彼女に食べさせたいなぁ、、 一緒にごはん食べたかったなぁ。
というのと、
わたしのために作ってくれたシェフの愛情なのかな、もう、ともかく美味しくて、こんな美味しい食べ物が世の中にあるんだ。もう大丈夫だ。すくわれた。神様っているんだ。いやシェフが神様。
そして、あーーわたし間違ってた。
厄がやって来るというよりいっそ厄から守られているのねと気がついて、母は、前日だったことを不幸中の幸いよ、と言っていたけれどそういうこと、本当によかったのだ、と思う。そしてまたつらい。
「おばちゃんが来たら一緒にオセロするんだ」とか言ってたらしい甥っ子は、わかってくれるだろうか。ごめんね。
ピザを焼くと言って材料買い込んだ母は。
一緒にどこへ行こう母の日なにを持って帰ろうと話していた妹は。
どうか、はやく体調が良くなりますように。
そして良いことがありますように。
今度会う時は笑い話にしようねと、そんな今日です。
予定したいたお弁当は今夜の夕飯になった。
さ、切り替えてがんばろ。明日も夫は休み。
(こんな長いのを読んでくださってありがとうございます。皆様もお身体にはどうぞお気をつけてお過ごしください)PR -
気温はぽかぽか、だけれど北風が冷たい。
郵便局まで行くのにちょっといつもより長く歩いたら、寒いなぁと感じる。雲ひとつない青空で、立冬ぴったりにはぁそれっぽい。
安堵のような、不安なような。
昨日、夫と昔話をしていて、二十歳の冬の話になった。
その年末、も年末の、クリスマスイブからスタートで友人と二人、都内で写真展をしたのだけど、前夜の搬入がなっかなか終わらず、とうとう終電を逃してしまった。
でもなんだかそのギャラリーの人や友人(二人は自転車だった)、に心配かけたくないしそれを言い出せず、近所に友人宅があるからそこに泊まるの、と言って、とりあえず電車が動いている駅まで行って、ホテルも無い駅、ネットカフェに泊まった。
ほとんど寝られず、漫画を読んで朝まで過ごし、始発の京王線に乗り、郊外の町まで帰った。シャワー浴びて、倒れるように寝たと思う。
もちろん翌朝は寝坊して、どうにか昼に搬入の続きをしに行って、午後は夫と会って(当時は彼氏ですよね)、渋谷でカレー食べて、池袋でプラネタリウムに行った。
あまりに眠く、星はひとつも見た記憶がない。
その夜、婚約指輪をもらった。
それから数日普通に仕事して、年末に搬出を終えてから、夜行バスに乗って実家に上客以来初めての帰省をした。
もたもたしていて直行便がとれなくて、大阪で乗り継いで。その大阪の空き時間にはスーパー銭湯に行った。
帰った田舎ではもれなく駅前で友人とバッタリ会って、帰った実家で母が用意してくれた夕飯は、塩サバだった。クリスマスの残りの材料があったから、と言って、ショートケーキもあった。
二十歳ごろのことってなんでかあまり覚えていない(たぶん人生で一番忙しかったから)、けど、この数日のことはまぁまぁ覚えている。外で朝を迎えたなんて、これを含めて数回だしね。
だいたい今思えばタクシーに乗れば済むものを、あぁお金もなかったんだろうな、そして、体力はあったんだろうなぁと思う。。。
浮かれまくっていた11年前の話。
でもあの日の塩サバはなんだかとても美味しかったのだ。
普通で。
母親の用意してくれる普通のごはんってなんかしみじみおいしいですよね。 -
数年前、精神的に落ち込んでいたときに、子供もおらず外で働くこともできない自分は一体なんのために生きているんだろうかと、社会にとってなんの役にも立っていない、と考えて、考えて考えて考えた結果、なのかな、ふと、神さまのごはんになるのだと気づいた。
人間が食物連鎖の頂点かどうかなんてわからない。
わたしが今日食べたトマトや豚肉と何ら変わらず、生きて、そしていつか、ごはんになる。
神さまにとっておいしいごはんになることは、寿命を全うすることで、自分だってしっかり熟れた果物や、所謂、食べ頃で食べたいし。
あの、国語の教科書にのっていた、宮沢賢治のやまなし、に通ずるところだと思うのだけど。
最近は、相も変わらず、縫うの遅い選手権があったら優勝レベルの遅い仕事で、いや家事も歩くの食べるのなにもかも遅い、けど、そんな昔みたいに絶望しなくなった。
先進国、経済大国においてわたしのような生き方は推奨されないだろう。
でも、生きていて良い、って思えるのは、その、神さまのごはんになる、っていう気付きに加えて、家族のためにがんばろう、ということで。
って当たり前すぎるような話だけど。
夫の好物作って喜んでもらえたらうれしい。
母が妹が甥っ子が幸せだとうれしい。
役になんて立たなくても良いって、そうだ、道端の花とかそうだよね。
あ、かわいいな、っていうそれでいい。 -
今日から夫は出勤。
だけれど昨日の実家からの帰り、もう朝ごはんの準備する体力は残っていなくて、コンビニでおにぎりを買った。
自分のも買って、気持ちとしては100年ぶり、、正確にはたぶん4年ぶりとか?くらいに、市販のおにぎりを食べた。
最後に食べたのは海苔がフィルムに包んである三角の、具の入ったあれで、でも今朝はそういうのじゃなく、まっしろの、塩むすび。
びっくりした。
ちょっと、なんというか、強烈な味がした。
このもう8年くらい、週に5日の朝ごはんは、夕べ自分の握った塩おにぎり。
帰省した時に妹が握ってくれたちいさいおにぎりはとても美味しかったし、それ以来の、いつもと違う味をちょっと楽しみにしていて、でもなんだろう、想像と、というか、記憶とだいぶ違う味だった。
いやコンビニのあの塩むすびを食べたのなんて、10年以上前に一回か二回か、くらいのものだけれど。
普段インスタントや市販のものをなるべく避けているわたしには、想像出来ない世界だったらしい。
記憶と違う、そういうことはいくつもある。
懐かしいねって買ってみたお菓子を、え、こんな甘かったっけ、、って食べきるのに苦労してヨーグルトと一緒にしないと食べられない、とか。
子どものころは、田舎で、そもそもコンビニというだけで憧れだったんだけどな。
一年に一回も行かない今。
一昨年かな、初めて見て、わぁっと感動したとある古い映画を、こないだまた見て、良かった、けれどそこまでの感動にはならなくて、それにも少し似ていて、
知らないことが多い方が感動できる、なんて当たり前のことで、年を重ねれば重ねるほど、既視感、
でもね、わぁっと感動しなくても、もうそれ食べたい、って思えなくなっても、それ自体がダメとかじゃ全然なくて、もう今の自分には必要のないもの、っていうだけのことで。
正しい間違っている、じゃない、あくまで、わたしにとって、必要があるかないか。
そういうので言うと、夫の母はすごい。
85になり、もうあれこれめんどくさいのよ、と言ってほとんど料理をしないのだけど、といいながらも作ってくれたお雑煮は美味しかったのだけど、元々、家庭的というよりは外で働いて来た人で、まぁ、わたしとは全く違う感覚の女性。
でもわたしに対して、働きなさいよ、子ども生みなさいよ、みたいな風はまるっきりなくて、昨日も、ちょっと持って行ったサラダを食べながら、こんなの切るだけでも大変だったでしょう、すごいわねぇとか、そう本当に優しく言ってくれる。
この親にしてこの息子なんだなとつくづく。
人それぞれいろんな価値観がある、
わたしの二倍以上、もはや三倍近く生きている母の、そんなところは見習いたいなと思う。 -
昨日母が、久しぶりにグラタンを作った、と言った。
この暑いのに?と聞いたら、甥っ子が夏休みで給食がないから、乳製品を摂らせたかったらしい。
好き嫌いの多い彼も、ばぁばのグラタンはもりもり食べるらしい。
母のグラタン、といえば。
(この話、前にも書いたと思うので、あぁ聞いたことあるなって方もいるかもですが、また)
上京する前、家を契約するために一旦東京へ行く日。
当時付き合っていた人と出かけていて、夕方家に帰って、さぁお風呂に入って準備して夜行バスに乗ろう~と思ったら、母が台所で、グラタンを作っていた。
そもそも母がこんな早い時間に家にいること自体がめずらしく、しかもグラタン。
びっくりした。とてもうれしかった。
この日はエビとマカロニと野菜、玉ねぎとすこしの人参だったかな、の入った、いやぁ何年ぶりだろう。
白くてあつあつの愛しいグラタン。
でもわたしはそれを、半分も食べられなかった。
ほんの数時間前、遅いランチにチキンドリアを食べたことを呪いながら、早く行こうよってとっくに食べ終えた妹に急かされながら、食べたい、美味しい、苦しい、でもこれ無理に突っ込んだらバスに酔うことは見えている、あぁ、冷めていくホワイトソース。。。
もうやめとき、ってけらけら笑いながら言う母。
あのときの悲しさといったら。
子供の頃は、冷蔵庫のなか、グラタン皿に既にセットされていたそれの、ラップを剥がして、自分でパン粉をかけて、まずレンジですこし温めてトースターで焼くよう言われていた。
妹とふたりで食べるのに、トースターにふたつは入らなくてひとつずつ焼いて、熱々のを網の手前に置いた平たい皿に滑らせて。
作って置いてくれていたごはんを食べる、だけど、グラタンにおいては、寂しい感じもしなかったな。
母のグラタンは、全然特別でもなんでもない、普通のグラタン。
チキンの時とエビの時があった。
本当に普通。
でも、なんだろう。
あのマカロニの柔らかさとか玉ねぎの厚みとか、やっぱりあぁあれが食べたい。
母のグラタンを見たのは、その夜が最後。
今度帰省する時にはグラタン、作ってもらおう。今度はちゃんとお腹空かして。