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mel

人は死んだら神さまのごはんになるのだろう
数年前、精神的に落ち込んでいたときに、子供もおらず外で働くこともできない自分は一体なんのために生きているんだろうかと、社会にとってなんの役にも立っていない、と考えて、考えて考えて考えた結果、なのかな、ふと、神さまのごはんになるのだと気づいた。

人間が食物連鎖の頂点かどうかなんてわからない。
わたしが今日食べたトマトや豚肉と何ら変わらず、生きて、そしていつか、ごはんになる。
神さまにとっておいしいごはんになることは、寿命を全うすることで、自分だってしっかり熟れた果物や、所謂、食べ頃で食べたいし。

あの、国語の教科書にのっていた、宮沢賢治のやまなし、に通ずるところだと思うのだけど。

最近は、相も変わらず、縫うの遅い選手権があったら優勝レベルの遅い仕事で、いや家事も歩くの食べるのなにもかも遅い、けど、そんな昔みたいに絶望しなくなった。

先進国、経済大国においてわたしのような生き方は推奨されないだろう。
でも、生きていて良い、って思えるのは、その、神さまのごはんになる、っていう気付きに加えて、家族のためにがんばろう、ということで。
って当たり前すぎるような話だけど。

夫の好物作って喜んでもらえたらうれしい。
母が妹が甥っ子が幸せだとうれしい。

役になんて立たなくても良いって、そうだ、道端の花とかそうだよね。
あ、かわいいな、っていうそれでいい。
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