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古い小説を読んでいて感じるのは、言葉の難しさや文体の違いより寧ろ、生きる死ぬということについてで、
死、というものの遠さがもう、全然違う。

昨日書いた、お義父さん、夫の父のこと。
若いころに結核を患って、長く入院していた、らしい。
治って退院して、働き、義母と結婚して息子と娘を育て、定年まで勤め、六十九で癌で亡くなった。

わたしが夫と出会ったときにはもうこの世に居なくて、お義父さんはどんな人だったか、夫から、義母から、聞くことしかできなくて、
入院して本ばかり読んでいたころのことや、「俺の命は拾ったようなもの」だと笑っていたらしいけれどのそんな気持ちを、実際、
それをどう想像したって。
夫でさえわからないと言う。
わたしには到底わからないと思う。

いつだったか義母が、父について、
「十分呑めないままにいっちゃった」とぽつりと言ったのに、夫が、「いやもう十分すぎるくらいに呑んだよ」と言った。
あのなんともいえない一瞬!
つまりはごくありふれた、普通のそして最高に幸福な家庭だったのだと、心から知る。

今年はいろんなことを考えるけれど、とりわけ、生命、がついてまわる。
母が倒れた最初、電話で、「三割、三割、三割」だと言われた。
でも今何事もなかったみたいに元気に過ごしているのを見ると、本当にもう心底、安心する。

時代が代わる。生活が変わる。
昨日飲んだビールのラベルには、1876年と書いてあった。さっき読んだ小説は、1930年に発行されたものだった。
わたしは昭和何年といわれても、西暦で聞かないとすぐにはわからない。

かわるもの、かわらないもの。
わかること、わからないこと。

今読んでも小説は同じ小説であり、ビールはビールだ。

意味不明の日記をごめんなさい。
平成最後の年に生まれた甥っ子は、さっき、バナナを食べていました。
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Furuyama saki
神奈川県在住
1993年3月生まれ
高校を中退後、2010年よりアクセサリーの製作活動を開始。
個展、通販、雑貨店での販売と同時に、フィルム写真やZINEも製作発表。
2015年、結婚を機に、暮らしに調和する布小物「mel」を開始。
現在は不定期オープン、スロー活動中です。

29歳年上夫とふたり暮らし。
リネンと、おやつとコーヒー、洗濯を愛しています。
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