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mel

  • ごはん粒ひとつ
    買い物に行くと感じるのは、そのものの値段を見てというより、断りの文言の多さ。
    本当になにもかも値段が上がり、上がるだけならまだしも、なくなった、のも多い。

    新商品とか期間限定、という文字にあまり心踊らない。
    それより、同じものがまた買えないということに、ちょっと恐怖心みたいなふうがある。

    好きになるとずっとそれを買いたいし、またあれを食べたい、あれを使いたい。
    それが叶わないこともどうしてもある、それが普通、でもなるべくなら、そこにお金を使いたい。

    ちょっとくらい高くても、潰れて欲しくないお店には行こう。それから近所で買い続けよう。
    なんでもないような当たり前のことだけど、値上げばっかりの今、大変なのは消費者だけじゃなくてお店もそうなのだし。

    布の値上がりもなかなかのものです。。
    今日縫っていたリネンの産まれたベラルーシ、という国はしかし今、どれほど大変なのだろう。

    変わらずそこにあってくれるというのはもう、普通のことと思ってはいけないのかもね。
    昔の人のいう、ごはん粒ひとつ残さずに。みたいなのを、今いかに、とか思う日々です。
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  • 日常
    昨日がエピファニー、今日は七草。
    ガレットデロワも粥も食べないまま、もう8日になりそうな夜。

    イベントごとが得意ではない。
    ようやっと年末年始の感じが落ち着いて、日常が戻ってきたのを心底安心している。

    いつもどおり。
    今日はどうだった?とか聞かれても、いいえなにもありません、の、一応言ってみると、
    寒い、洗濯なかなか乾かない、コースター縫いは変わらぬスーパースロー、パンとコーヒー、お弁当作り夕飯作り。
    でもこのいいえなにもありません感がとても好き。

    暗くなるのは遅くなってきた。
    今度は花粉が始まるのが怖い。。のことは、まだ考えないでいたいかな。
    そしてガレットデロワはやっぱり食べたい気がする。
  • ぼろぼになるまで
    またも良い夢で目覚めた、うれしい朝。
    しかも天赦日、縁起の良い日であるらしい。
    こういうのは実際何があるとかじゃなくて、良い日だ!と思うだけですでにうれしい。新月の日、とかも同様。

    なんでも知っている、と思う夫に、どこで知ったの?と聞くと、大抵の場合に「図鑑に乗ってた」というのを、
    無論夫の子供の頃にはインターネットというものがないのでそういうもの、なんだろうけど、それにしても。
    図鑑はもうほんとに隅々まで読んだの?と聞いたら、「ぼろぼろになるまで」と返ってきた。
    12冊あるのを何度も読んだらしい。

    ぼろぼろになるまで、っていうの、なんかいいなぁと思う。

    わたしはそういえば、小学校の時に友達にもらった青いボールペン。
    England、と書いてあって、変な絵がついていて、ちょっと太くて、押すと中身?の赤いのがくるくるまわる。
    ワールドカップがあったときに「ベッカムのチームのやつだよ」と言われてもらったもの。実際にはその友達の兄がパイロットで、国際線のお土産?かなにかで大量にもらったものだったらしい、と知ったのは大人になってからだけど。。。

    子供の頃は本当にベッカムにもらったのだと信じていた、あのボールペンは今でも使っている。
  • 寒い
    あまりに寒すぎて心に余裕がないのだけど、公園の入り口に山茶花の花の隠れたのをみつけて、うれしかった。
    まだお正月なのか、冬休みなのか、家族連れでいっぱいの公園。

    よく晴れて、まったくの無風で、空がとてもきれいな昼。
    寒いですね。
    毎日すこしずつ縫う。洗濯物は乾かない。
    あったかいスープが主役の夕飯。もうそれしかありません。
  • おめでとう
    祖母の誕生日。

    これが頭にあったから昨日あんな夢を見た、と分かっていながらの、例年通り、あけましておめでとう、誕生日おめでとう、の、両方を言う電話。
    この感じがなんか好き。

    長生きしてね、と言ったら、「もう私そんなの言われる年かぁ。」と返ってきた。
    まだまだ若いみたい。安心する。

    祖母の誕生日は、1月3日。
    わたしの誕生日は3月1日。

    夫は今日から仕事。
    すっかり普通に家事して縫って、もうお正月感はどこにもない。