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休日。
夫と近所を散歩して、昼ごはん食べて、買い物して。
日頃まだ真っ暗な時間に出勤して、すっかり日暮れてから帰る夫。
こないだわたしが初めて歩いた遊歩道や、普段歩かない道の景色になかなか喜んでいて、鳥がいて、猫がいて、雲ひとつないよく晴れたそのなんだろう、空気に、あ、いいなぁってわたしもまた思う。
田舎がいやでいやで上京したのはもう12年前になるけれど、今は、あの祖父母の家の周りの如く静かなのに触れると、あぁ、、、って、魂が悦んでいるようにすら感じる。
ごはんにしても。
すごーく美味しいものを食べられるから、よりも、そこの空気に身を置きたいなと思う店に行きたい。
空気。いや、それもまた味のひとつなんだろうな。もっと大事な。PR -
今日、とある人に「さすがはお目が高い」と言われた。とてもうれしかった。
誰かにほめられたとき、それを素直に受け取れる人でありたいなと思う。
お世辞でも、とか、そんなの真に受けて、とか、変な深読みとかしないでいたい。
うれしいものはうれしい。
ありがとう、と普通に笑って返す。
そして、誰かを素直にほめられる人でもありたい。
元来、素直な性格だと思う。
まぁ、痛いかゆいとか暑い寒いに対してもそうなのはどうかと思うけれども。。 -
冬土用もあと半分。
立春までのこの期間は、一年で一番つらい時期だと個人的に思っているのだけど、まさにそんなふうで、
ともかく冷えて、日々、洗濯掃除ごはんとお弁当に、買い物、ちょっと縫うだけでまるで余裕がない。
エアコンもストーブもついているのにカイロだらけで、どうにか過ごしているような感じ。って、温暖化しているしかも関東平野であるというのに。。
何と情けないことか、と思いながらの弱音をごめんなさい。
去年例のあれになってから、いつまでも戻ってくれない体力。体重と体温と血圧が低いけれど、テンションも低くて嫌になる。毎日、家に帰ってくる夫がかわいそうだ。
朝昼は元気なのだけど、日が沈むときつい。
そんなわけで午前、のこりの洗濯干して、ごはんマットの続きをがんばります。
しっかり縫えれば機嫌よくおかえりと言える。 -
朝まず郵便局に行きついで、窓口の脇の、市で採れた野菜コーナーで里芋を買う。備え付けの貯金箱に200円をいれる。
出て、遊歩道を歩いて、無人直売のコインロッカーで近所で採れたらしいみかんを買う。
ここのみかんがなんとも不恰好で皮も分厚い、でもとっても美味しくて、みかんあるかな、って見に来ている。同じく200円をいれる。
遊歩道をさらに歩き、農園に行く。
ここにはスタッフがふたり。いつものように挨拶して、ようやく冬の野菜が出てきた!って、うれしく話す。
今日はこんなのあるよ~って、もう如何にも採れたてのつやっつやのタアサイと、紅菜苔、その間引き菜、葉っぱつきの人参、かぶ、金柑、スティックセニョール。
1000円ちょっと。量り売りのそれを買う。
一旦荷物置きに帰ってから、スーパーに。
遊歩道は、いつものスーパーや駅と反対方向にあるので、日常のようでいて非日常、せいぜい二週に一度かくらいしか通らない道。
とても静かで、鳥がたくさんいて、今は花はあまりないけれど椿はあちこちにもりもり。そこここに金柑と柚子が生っている。
なんだろう、時間がとまった感じ。
人が通ったと思えばほとんどがちいさな子供をつれたお母さんや、お年寄り、せかせかした感じがなくて、空気がとてもおだやか。
現金しか使えない、というのもまたね。
寒すぎない日が増えてきて、春がちらちら。うれしいな。
ロウバイも咲いた。 -
夜、大相撲中継が終わってそのままついていたニュースの中で、昔住んでいた街の特集が始まって、夕飯食べながら夫と見る。
その、ほんの15分ぐらい、いつもどおりの夕飯の、味がよくわからないな、と感じる。あれ、なんだろ、いつもより薄い?ような、ってわたしの味はだいたい薄いのだけどそれにしても。
終わって消したらあ、いつも通りにちゃんと美味しくて、そっか、意識が散漫になると味がわかりにくくなるらしい。
でも、見慣れた駅前のデッキと、そのもっと昔の光景も見られておもしろかった。
子供の頃、ごはんの部屋にテレビはなくて、今もほぼテレビは見ない。
のだけどこの頃は、土曜にBSで映画「男はつらいよ」を見るのを楽しみにしていて、なんだろう、寅さんは、映像がというのもあるけどともかく美しくて、あったかくて。
これにはごはんの味がわからないとかもなく、bgmとしていい。
大相撲中継でいうと、台所にいる時間なのでほとんど見てはいない、聞いてるだけのその拍子木の音や呼び出しの声や、そうやはりbgmとして好き。
古いものの空気。ずっと残ってきた余白みたいな。そういう感じがあるのかなぁ。