-
朝、3連続でコーヒーをこぼして、クロスにコースターにシンクのあっちこっち、すでに出来ていたサラダのボウルにさえ被害で、洗って拭いての繰り返しに、ぐったり。
その午後。
空気の乾燥する季節には、身体だけじゃなくて心にも潤いを。という考え方があると知る。
わたしにとっての心の潤い、ってなんだろう、とぼんやり考えて、美味しいものと美しい音楽がぱっと浮かんだのだけど、なんか、それだけじゃないよなぁって。
日暮れまで布と過ごして、夕飯作って食べて、明日の準備に片付けに、っと、ふう、この注意力散漫らしい今日をなんとかその後何も起きずに済んだな、と、
ふと窓辺の花を見たら、あたたかだった今日の陽射しを良く浴びたらしいアルストロメリアは、朝よりずいぶんと開いた。
隣のミントもついでに見たらこちらはまた新しい芽が出てきて、またそのついでに見たローズマリーは、白い根っこがにょきにょき!
これは今日初めての発見。
あぁ、うれしい。
今夜はすごい北風が吹いてきて寒くなりそうな、はぁ乾燥、つい今もしつこく化粧水塗り重ねてきたところだけれど、心はちょっと潤って、なんか、よく眠れそうな気がする。
明日もまた伸びるかな。開くかな。PR -
祝日。
お出掛けようかほんのり迷いつつ、いや予定どおりに続きを縫って、とりあえずの目標まで終わり。
季節外れにとてもあたたかく、身体が軽い、そうだった、天気が最高な日はお出かけにも最高だけど、家にいるのもまた最高なんだな、と改めて。
きれいに縫えたこの勤労を、お空に感謝。
いい夫婦の日の昨日も、勤労感謝の日の今日も、どっちも夫は普通に仕事。
普通に行って、普通に帰ってきて一緒にごはんを食べる。
なによりありがたいこと。 -
昨日ふらっと寄ったパン屋さんで買ってきたパンがとても美味しくて、バゲットもだけどクロワッサンがあまりに好みのもので、うわああ!の今朝、
まだまだ歩くし買い物もするし家はなかなか遠い、と面倒くさがって一個しか買わなかったのを、夫と半分しながら、あぁ、これまた買いに行きたいねーって、うーん遠いねって、話す。
いろんなものがある、ありすぎる。
パン屋さんに限らず美味しいお店は、いや食べ物だけじゃないね、観光地なんかも山ほどある中で、また行きたい、とかあぁなんか良かったね、落ち着くね、とか思うものはでも、そんなにいっぱいはない。
技術の結晶のような美しいものに感動するというよりも、身体にすーっと馴染むような美味しさとか、店構えとか店主の笑顔とか。
あ、なんとなくここ気持ちがいいな。と感じる空気のあるお寺、とか。公園とか景色、いやもう駅を降りてそもそもその街の空気とか。
やさしいパンだったなぁ。 -
おでかけの日。
いつか、と思っていた池上本門寺へ行った。
広くて静かで、紅葉はまだ、時間の止まったような穏やかなところだった。
嬉しかったり、ちょっと疲れたり、美味しかったりそわそわしたり、いろんなことがある、
いや楽しかったのですよ、今日は。
でも、いろいろあったなぁと思い返すとき、自分が変わったなぁと感じることが、昔は違ったなぁというね、年齢なのか生活環境なのか、時代もかな、それをまだついていけてないところがどうしてもあるのを、日々。
夫はそのへんの消化が上手いなと思う。
優しいとか心が広いとか仏のようだとか言われている夫だけれど、というか、嫌なことや理想どおりにいかないことについて、我慢強いというか、ポジティブに変換しようという感覚が強いのかなと思う。
そういうのをつまり、大人というものなのかなぁ。
ちょっとなんか口にいれたいなと思うときはドライフルーツを食べていたのだけど、これからは小岩井無糖のむヨーグルトにする。
昔の自分だったら、迷わずエクレア買ってただろうな。 -
秋ってあったのだろうか。
いやあった、ちょうどいい最高だねって言った日は確かにあった、けれどあまりに短い、儚い。
もはや絶滅危惧種。トキとかウナギとかと同じようなものではないかしら。
夏ばかりが長くなって、四季というけれどそれはもうとっくに四等ぶんではなく、寧ろ四十分のいちくらいしかないような。
何が言いたいかと言うと、毎日寒く、今日はまた一段とだよね、もっこもこ着てストーブつけてどうにか過ごして、あぁ、今年こそは霜焼けませんようにと足掻く日々。
でも冬の空気のなかで縫うのはいいな。
空気がしんとして、白とか、とてもきれい。