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寒いですね。
よく晴れて乾燥して、普通に冬らしい。
変わらずバッグを縫い、お菓子焼いたり写真撮ったりもしていながら、なんとなくアウトプットする気持ちになれず、そのぶん、なのかな、
作業しながら聞いているPodcastの、今日はゴッホの生涯について聞いたけれど、ナポレオンとか、建造物とか。
なんか、あぁそうなんだなぁって、全然違う時代や環境のことを知るのが、今、とてもたのしい。
夜寝る前にはちょびっとの読書、お勉強。これもちょっとずつだけれど、たのしい。
寒くなると、夫がよく咳をする。
ので、今日は夕飯の鶏クリームに粉でとろみ、じゃなくて蓮根をすりおろして入れてみた。
お勉強にて知ったこと。
ちょっと今夜は咳が少ない気がするような。PR -
手が痛いを理由に後回しにしていた諸々、クローゼットの片付けとか、モップがけとか、ちょっとしたことたちをゆっくり終わらせて、もりもり洗濯して、あぁすっきり、な日曜日。
夫と、感動した記憶について話していて、映画とか音楽とか。初めての食べ物とか。
夫の記憶はいつも鮮やかで、本当によく覚えている。
これって、やっぱり選択肢の多くない時代だからこそ、なんだろうなぁ。
銀河鉄道999は、見終えて電車で帰る途中で引き返してまた見た、その日だけで3度見た、そのあとも見たので6回ぐらいは映画館で見た、という。
わたしは見たことないけれど、あの絵だけはわかる。
まるで違う時代、土地に生きてきたので、まだまだ知らないことだらけ。
こないだ行ったお寺には力道山のお墓があったけれど、いやわたしはその人の存在すら知らなかったしね。。
歳の差婚、なかなか良いですよ。笑 -
年末、いつものお花屋さんがあまりに長蛇の列だったので、諦めて、新しい花を買わないままに新年を迎えた。
ちいさくなったマトリカリアとハーブの水替えながら、やっぱり並んだらよかったな…と思い、花屋の前を通る度にシャッターをちら見、さてようやく今日、花を買いに。
まだお正月であんまり無いんだよーと言う花屋の店主。
赤いガーベラがあったので、くださいと言ったら、あれはあんまり良くない(古い)からやめたほうがいいよ、と。
赤い花がいいなぁと言ったら、ちょっと待っててねと言って、奥から、ラナンキュラスを出してくれた。
まだ開きかけてすらいないままのとっても綺麗なそれを、2本もらう。
最寄りのスーパーもまた、お正月休みが明けたばかり。
混んでいる、買うものもたんまり、つまりは大荷物抱えてちょっと息切れの状態だったけれど、それでも、
花を、手に持って、家に帰る。
この喜びは何にも代えがたいものがあるなぁ。
帰ってきて窓辺に置いたら、すでにちょっと開いた。
今日はそんなに寒くなくてよかったな。 -
祖母の誕生日。
毎年恒例、誕生日のそれと新年のそれとで、おめでとうを言い合いっこ、な電話をする。
74になったらしい。
ついこないだ会ったという甥っ子のこと、ひ孫はかわいいでしょ、と言ったら、孫もかわいいわよ、と返される。
5人いる孫のうち、わたしは初孫。
彼女は43でばあちゃんになったという。
いろいろ、おめでとう!わぁ!という気分にはなれない新年ですね。
無事にひとつ歳をとれるということの有り難さ。
来年も、またその先もこれから何度も、ばぁちゃんにおめでとうって言えますように。 -
今日から夫は出勤。
だけれど昨日の実家からの帰り、もう朝ごはんの準備する体力は残っていなくて、コンビニでおにぎりを買った。
自分のも買って、気持ちとしては100年ぶり、、正確にはたぶん4年ぶりとか?くらいに、市販のおにぎりを食べた。
最後に食べたのは海苔がフィルムに包んである三角の、具の入ったあれで、でも今朝はそういうのじゃなく、まっしろの、塩むすび。
びっくりした。
ちょっと、なんというか、強烈な味がした。
このもう8年くらい、週に5日の朝ごはんは、夕べ自分の握った塩おにぎり。
帰省した時に妹が握ってくれたちいさいおにぎりはとても美味しかったし、それ以来の、いつもと違う味をちょっと楽しみにしていて、でもなんだろう、想像と、というか、記憶とだいぶ違う味だった。
いやコンビニのあの塩むすびを食べたのなんて、10年以上前に一回か二回か、くらいのものだけれど。
普段インスタントや市販のものをなるべく避けているわたしには、想像出来ない世界だったらしい。
記憶と違う、そういうことはいくつもある。
懐かしいねって買ってみたお菓子を、え、こんな甘かったっけ、、って食べきるのに苦労してヨーグルトと一緒にしないと食べられない、とか。
子どものころは、田舎で、そもそもコンビニというだけで憧れだったんだけどな。
一年に一回も行かない今。
一昨年かな、初めて見て、わぁっと感動したとある古い映画を、こないだまた見て、良かった、けれどそこまでの感動にはならなくて、それにも少し似ていて、
知らないことが多い方が感動できる、なんて当たり前のことで、年を重ねれば重ねるほど、既視感、
でもね、わぁっと感動しなくても、もうそれ食べたい、って思えなくなっても、それ自体がダメとかじゃ全然なくて、もう今の自分には必要のないもの、っていうだけのことで。
正しい間違っている、じゃない、あくまで、わたしにとって、必要があるかないか。
そういうので言うと、夫の母はすごい。
85になり、もうあれこれめんどくさいのよ、と言ってほとんど料理をしないのだけど、といいながらも作ってくれたお雑煮は美味しかったのだけど、元々、家庭的というよりは外で働いて来た人で、まぁ、わたしとは全く違う感覚の女性。
でもわたしに対して、働きなさいよ、子ども生みなさいよ、みたいな風はまるっきりなくて、昨日も、ちょっと持って行ったサラダを食べながら、こんなの切るだけでも大変だったでしょう、すごいわねぇとか、そう本当に優しく言ってくれる。
この親にしてこの息子なんだなとつくづく。
人それぞれいろんな価値観がある、
わたしの二倍以上、もはや三倍近く生きている母の、そんなところは見習いたいなと思う。