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誕生日の日、行こうと思っていたイベントが、このところのあれで中止になってしまった。
それなりにがっくり、近所で買い物した帰り、切り替えて、普段よりちょっといいバターを買った。
それから20日が過ぎ、ホットケーキにトーストに、おかし作りに、食べ比べもしたし、炊きたての白いごはんにもお醤油と一緒に!と、家のなかでゆっくり消化して、
些細だけれど、これはなかなか良い誕生日プレゼントだったかしらと、じわじわ、うれしくなる。
それから、最近とても好きなアーティストに「三月」というタイトルの古い曲があることを知る。
iPhone越しに生配信で聴き、バースデーソングではないけれど、あぁ三月生まれでよかったぁと、これまたじわじわ。
家にひきこもることには慣れていると思うわたしでも、自ら家にいようと思うのと、控えなきゃいけないのとでは心持ちが違い、はぁ、人とはわがままなものですよね。
まだあるバターをどうやって食べようかなが、じわじわ、しみじみ。
どんなことも捉え方、なのだよなぁ。
なまぬるく嬉しい、あともうすこし、誕生月。PR -
いくつかの失敗が続いたあとにわかったことは、余計なことはするまい、というところ。
しかし、どこまでが大事なことでどこからが余計なのかを見極め、やりすぎないこと。このあたりで。と自分にブレーキをかけるのはほんとうにむずかしい。
限界まで、いけるところまでと没頭するのは、何も考えなくていいぶん、とても容易。
ぎちぎちじゃなく、いい意味での適当さ、やわらかさみたいなものを含むかんじの。うんうんこんなところかしらね〜と、まあるい気持ちで送り出す。
そんな風でありたいなぁと、少しだけ昔を思い出せたような気がする。
ちっとも完璧じゃないところも、まるごと愛せたら。
まあるい気持ちで、
さぁ今日はまた手縫いからー。 -
ボールペンのインクを、最後の最後出なくなるまで使い切り、あたらしいものをおろす今朝。
これってちょっと気持ちよくて、10年以上は愛用している無印の0.38ゲルインキ、いまはこれ一本。
しかしあの、カラーペンもりもりペンケースに詰めていた中学生のころは、最後まで使い切った記憶がほとんどないなぁと思う。
当時は無印がちょっと遠くて、友人と汽車に乗って出かけ、ペンと、あのクラフト紙のノート(表紙に絵を描くのが流行った)、たまにお菓子買って、キディランドにファストフード。それから同じビルでプリクラを撮って(あぁなんて懐かしい響き!)。
そんな週末が、当時はなかなか大きな楽しみだった。
なんであんなに色とりどりにしたかったのやら。
それもいい思い出。
ちなみに、授業ではノートをいかに美しく書くかにこだわるばかりで、
話をきちんと聞くでもなし、あとで要点を見返すでもなし、ただ文字がずれずに書けたら満足、みたいなふうでした。
いまでは日記、毎日白黒の、走り書きだというのに、ねぇ。 -
暑さ寒さも彼岸まで、がまさにそれな、今年の春分の日。
melをはじめたのはそういえば五年前のこの日だったなぁと、五年というと短いけれど、一年生が六年生になると思うととても長くて、22歳だったと思うと、あぁ、ずいぶん前のような。
しばらくはいい天気が続くらしく、縫うのも、洗濯も掃除も買い物も捗ることに、ありがたくてうれしくて、おかげで気分のいい今日。
療養中の母も、天気がいいと体調がいいようで(気圧の変動が脳に影響するらしい)。
いろいろあるけれど、こんな陽気には、陽気にいるのが似合うなぁ、って。
昨日はクローゼットと、お風呂を気合を入れて掃除した。
すっきりとした朝。
はればれ、明るい曲を聴く。
今日は休みだし、昨夜浸けておいたフレンチトーストを食べて、すこし縫ったら、家事はひと休み、夫とのんびりしようと思う。 -
あたらしい石鹸をおろすとき、毎回、あのつるんとしていながら柔らかな白に、うっとりと見惚れてしまう。
包みを開けたときのにおい。削れていないかたち。
目につくまわりの、壁や洗濯機やタオルや服や、どの白ともちがう、あの石鹸の白。
あの白みたいな食器とか、あの白みたいなワンピースとか。
あったらいいなぁと思う、うれしい湯上り。