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今日は休日、意識してさてなんにもしない日にしようと決めて、
とかいいながら洗濯も掃除もいつもどおりにしたし、バナナケーキも焼いたし夕飯も普通に作ったのだけれど、まぁそれだけの、
縫わない読まない考えない一日。
昼寝すらもしないでただぼんやり過ごしたあと、なんともいえない充足感を感じる。
いい天気。
なんにもしない日。
こんなに有意義なことはないんじゃないかしら。
日記も休みにしようと思ったのだけど、やっぱり書きたくなったので書いておく夜。
明日からはまた、縫ったり読んだり考えたり、普通に、がんばろう。PR -
残念ながら人間のからだにはリセットボタンはついていないので、失敗したら、自分で反省して、立て直すしかない。
今日は夕飯を失敗してしまい、あーあ、がっかりしながらとにかく片付ける。
片付ける、というのは偉大だ。
こんなのをやらなきゃいけないと思うとまぁそうなのだけど、
また次頑張ろうと前を向くには、一旦無になる時間が必要で、泣くでも怒るでも声を荒らげるでもなくて、ただ目の前の食器を洗う、シンクを磨く。
静かな一人の台所は、まったく、立て直しには最適らしい。
それにしてもわたしはよく失敗するし、落ち込むし、そのくせ諦めが悪いので、あぁなんてめんどくさい性格しかしいっそ、ある種の闘志が湧いてくるらしい。
はぁ、また挑戦してしまうのだろうな。ええ、この暑いのに! -
何より大事にしてきたはずのことを、最近は意識していないということに気がついて、それは忘れているのではなく、もうあまりに、当たり前になりすぎている。
情けないことに、わたしはとにかく、自分に自信がない。
誰かに学んだわけでもないから裏付けがないし、経験もない、いつもはぁどうしてこんなに下手なのだろうと、縫っても縫っても、打ちのめされるを繰り返している。
しかしほんのすこしは、成長しているのかもしれないと思えた今日。
どこにこだわるか、何を大事にしていたいのか。
完璧さ、端正さ、を追い求めたい気持ちは常にあるのだけど、いちばん大事にしていたいのは、簡単にほどけてしまわない、こと。
長く役に立つ。
端が総て。
あまりに当たり前のことを、いま一度きちんと意識する。
打ちのめされるのは良いとして、また波に乗るしかないのだ。
melの真髄は、端しっこ、です。 -
今朝、妹から、「近所のパン屋さんへ向かう道すがらもう焼きたてのにおいがして、暑いけれど幸せに歩けた。匂いはどうして送れないんだろう。」と、LINEが来た。
送られてくるのは写真だけだけれど、その二言で、暑すぎる京都の午前のアスファルトの上の、茹だるような、向こう側がなみなみしてみえるような空気のなかにあの甘いとも塩っぱいともつかない焼きたての、粉の、発酵のにおいがする感じがすこしわかる気がして、
なんともいえない。
あぁこれを表す言葉が浮かばないのが残念なところ、ともかく、嗅いでないのに、わたしはその匂いを見たような気がする。
オンラインでの対人があまりに普通になってきて、思う、善悪とかではなく、あれにはあれ特有の間、があるらしい。
一瞬の、電波状況に関わらずなぜかある、微妙な間。
そうしてあの一瞬はときに永遠のように重い。
伝わるものと伝わらないものがある、のは、画面越しか否か、だけでもないと思う。
にしたってこんなつらつら書かなきゃいけないだなんて、たった二言で完璧であった今朝の妹の文才には、まったくかなわない、なぁ。 -
お盆であることを忘れてしまいそうな今年のこの静かなお盆、
田舎では阿波踊りがないらしい。
あれのないお盆がいったいどんな風なのかもはや想像もつかないけれど、踊る人たち、奏でる人たちは寂しいだろうなぁ。
わたしは変わらず引きこもり、
自分用に縫った厚手リネンのバッグがなかなか使いやすかったので、同じものを作る。
いつ販売できるか先は読めない、読まない、けれど縫うことは縫う。
すこしずつ。
やることはいつも同じ。
家事とミシンと、習慣になった体操、ときどき腹筋(おそろしく筋肉がない)、それから読書。
昨日読んだ梶井基次郎があまりに良くて、うっとり、
あぁそう、こうして引きこもる夏の日、此処に居ながらにしてあちらへこちらへと、見たことのない世界や見ることの出来ない過去のどこかへ、まるで、旅にでも連れ出してもらえているよう。