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気に入ったものは、常に目につくところに置いて愛でたり、手に触れたり、したいような、壊れないよう大事にしまっておきたい、ような。
人にもらったものにしてもそうだけれど、大事にする、というのはむずかしい。
部屋にいろいろ並べたり、出しておくのが見た目としてすこし苦手なのだけど、
生活しているのに、生活感を消せるわけもないらしい。
毎日何度も使っていた小さなグラスをひとつ割ってしまって、同じものが見つからなくて、っていうか、グラスは他にもあるのだし。
地震がこわくてしまいこんでいたお気に入りを、吊棚の、すぐ取れるところに出す。
もっと使おう。
愛でよう。
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晴れたり曇ったり、叩きつけるように降ったかと思えばまた晴れたり、の不安定な木曜日。
夕日が眩しい、と感じる時間が短くなって、台所の窓越しに、雲のせいかもう秋なのか、すこしやわらかい、うす白い。ほんのり儚いような気持ちがする。
今月末で、田舎の百貨店がとうとう閉店する。
何度行ったかわからない思い出の場所。
買い物もした、ごはんも食べた、バイトもした、あの人やあの人やあの人や、ひとりでや、用もなくただぶらぶら歩いて回った。
七階だか八階だか、本屋のある階の端に、窓の外に駅前を見下ろせるカフェがあって、
あそこで、季節のフルーツののったワッフルやパフェがたくさん並ぶなかの、それではなくてバターとシロップだけの、丸い、焼きたてのプレーンワッフルを食べるのがとてもすきだった。
いつだか母にその話をしたら、ママも高校生のころ、学校帰りに友人とそこに行ってたよ!と。
けれど百貨店のある駅前に、忙しい母とは、行くことがないまま。
退院したら、閉店までに一緒に行こうねと話した。
あれは二月くらいだったかしら。
結局、かなわなかった。
そんなふうにちょっぴりセンチメンタルになってしまうのも、まぁ、そんな季節って感じですよねぇ。 -
ひと頃の暑さに比べると幾分凌ぎやすくなってきたような、いやまだまだ蒸し暑いような。
って、エアコンの効いた部屋でほとんどの時間を過ごすわたしが言っても、なのだけど。
今朝、サーキュレーターのネジを回しながら、あぁなんだってこんな一々ドライバー出してきて回さなくちゃ掃除できないのって、いいや自分が買ったのだもの、黙々、開けて水洗いして、拭いてはまたドライバーを回す。
そんなたったの五分程度のことで、あーすっきりした。
最近は少しずついらないものを捨てたり片付けたりして、押入れの一角には、なにもない場所ができた。
部屋がすっきりすると、すこしは涼しくなったり、しないかしら。
気づけばもう九月が来る。
秋よりもずっと長いような残暑が。 -
大きいままの、まだ洗ってアイロンをかけただけのリネンをテーブルに広げ、向きを直し、長さを測り、さて何を縫おうかと考えている。
あの光景といったらまぁ、わたしなんぞが何もするまいのこれが、すでに最高に美しいなぁと思う。
きれいなものやきちんとしたものは作れても、美しい、見惚れるような感覚というのは、無意識の産物でしかあり得ないのかしら。
太陽の光、とか。
夕暮れ。朝焼け。月明かり。
意識して作った景色で、美しい、と最近思ったのは、冷奴に塩。
醤油ではなく、ネギも生姜も鰹節も乗せず、ただ真っ白い豆腐に、ほんのりグレーな最愛のフランスの塩をかける。
よく見ないとどこにかかっているのだかわからないように馴染んださまが、潔く、涼やかで、あぁそう、味もとてもおいしいのです。 -
昨日のうまくいかない蟠りを、今朝起きて、ひとまず、箱の奥へと仕舞ってみた。
それからゆっくり朝ごはん、コーヒー淹れて、ホットケーキを焼いて、食べてどうでもいい話して、片付けて、あぁそう、別にあれに固執しなくてもいいのだなと気づく。
すっきりした。
目新しいことをしなきゃと感じたり、違う景色を見て、見せてみたくなったり、してしまうけれど、それって、相手のためじゃなくて自分のエゴなのだと思う。
好きなら、満足しているなら、良いものであるなら。そのままでもいいのかも。
夕方、すこし早めからゆっくり夜ご飯を作る。
大きく変えることはできないけれど、味噌汁のおまけの具とか野菜の切り方とか、毎回ちょっぴりずつ変えてみる。
全然関係ないはずの台所で、なんだか多くのヒントをもらった気がする今日。
ホットケーキ、みたいな。
繰り返し聞いているアルバムみたいな。
同じであって同じではないしかしやはり同じようなもの。
そんな風です。
がんばります。