-
ひとつ前進、すこしだけ綺麗に縫える方法がわかった。
いろんなやり方を試して、まぁそのもの全部ボツになるひどい失敗もしたし、小さな失敗もたくさんした、今日、あぁこれでいけるかもっと思ったのだけど、また、これが正解かどうかはわからない。
うつくしいものを作りたい、について、
うつくしい、はもはや抽象的なもので、姿としてそれを考えると、男性的でも女性的でもなく、でも中性的というのとも確実にちがう、温かくも冷たくもなくて、可愛くも格好よくも当然汚くもないわけで。
じゃあいったいなんなのかって、無、に限りなく近い気がする。
媚びがない、というのかしら、
なんとも思わない、なんでもないような風でありたい。
なにもつけないリーンなパン、塩むすび、名前のわからない白い花。そんなものに。PR -
九月になった、途端にすこし涼しくて、ようやっと普通の夏みたいになった気がする朝。
昨夜、夕方から、激しく雨が降った。
大雨警報が出た。たたきつけるように、それもなかなか長い時間降り続き、
今年の八月の終わりは夏休みの終わり、でもないらしいけれど、まさになにかの終わりみたいだった。
そういえば、母に聞いたのを思い出して、祖母にLINEを送る。
最近LINEを始めた祖母。
金婚式おめでとう。に、ゆっくりだけれど絵文字つきで、すすっかり忘れてた。と返事が来る。(原文まま、もれなく誤字付き)
九月一日。
まだまだ暑いけれど、季節の流れを、時間の流れを感じる日。
わたしたちが金婚式を迎えるときは、夫、ぴったり百歳なのよねぇ。。 -
あぁそう、ごはんを食べる、というのは、皿の上のそれだけでなく、時間とか、空間とか、いただきますとかおいしいねとか。
成分では表せない、そして代えようのないものを頂いているのだと、改めて。
ちょっとした記念日であった今日、ちょうど休日、近所の行ってみたかった店で、お昼ごはんを食べる。
久しぶりのパスタ。
夫婦経営なのかしらの小さな店は、ボサノバっぽいやわらかい音が流れ、なんだか、とてもよかった。
彼の歌うところの、この町も悪くない、をまさに感じてみる。
いろいろ、会いたい人に会えないことがどうしたってストレスで、気分のコントロールが難しいこの頃だけど、それにしても、満ち足りた気持ちをくれるのはいつも人なのだなぁと思う。
ありがとうとか、ごちそうさまでした、とか。
マスク越しでも遠くからでも、それだけは簡略化しないでいよう。
会える人。会えない人。
きちんと、人であることを大事にしたいと、こころから思う。 -
わたしの日々は、あまりになにもないのだと今ごろになって気づく。
子どもも犬もいなくて、夫の帰り時間まではずっとひとり、何をしようがどこへ行こうが、総てにおいて自由、といえばそうなのだろう、
けれど結局ほとんどの日を同じように、まったくやはり洗濯から。
なにも変わらぬ日。
ミシンの前には二時間。
よく晴れたのでラグを洗った。
夕方すこし余った時間に塩を焼いて(湿気をとばしておく)、瓶に詰めた。
暑いので紅茶ゼリーを作った。
ええ、今日もこれといって変わったことは、なにも起きていない。
穏やかであるとも、退屈であるとも、とれる日々。
夫れ、と書いて、それ、と読むらしい。
夫に教えてもらった。
夕飯のあとですこし話をする。これまた、いつもどおり。
明日は近所に、昼ごはんを食べに行く。 -
いつもより早く目覚めた朝、どこかの家から、アラームの音が聞こえる。
それにしても朝はいい。
また暑くなり、眠く、身体が重いけれど、朝は、明るい。
部屋が明るいと気分も明るい。
澄んでいるかんじ。
希望。
空も、長い一日、夜になると疲れてくるのかしら。
どこかの家の人は、寝坊、だろうなぁ。
あいもかわらず、自分のやることなすこと全てに自信がないのですが、今日もひとつずつがんばります。