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まったく映えない地味な、ふだんの夕飯の写真を撮ってみるこの頃。
気が向いたときだけ、主役だけ、
夜で暗いけど、あぁなんて普通なのかしらが、しかしなんとなく楽しい。
今夜は、ゴーヤと獅子唐と鶏挽き肉の辛味噌。
夫うけを狙った日。
しっかり辛いのがおいしい。PR -
雨の土曜、なんて涼しい!
気分もしっとり、ひとり静かに過ごす日。
こういう天気に恒例の、半乾きくらいの洗濯物にアイロンをかけ、また干す。
速く乾くし、ぴしっとするし。
端だけでも真っ直ぐだと、気分がいい。
不満に思うことがあったり、なんだかなぁ、と思うこと、
どうしようもない、自分の力でどうにかなることなんて本当にとても小さい。
できる限りのことをするしかなく、ともかく今日はアイロンのにおいによって、随分すっきりした。
なんならちょっと肌寒い。
ミルクティーでも飲もうっと。 -
いつも通り、その辺で買い物をするだけの今日だけど、お気に入りのワンピースを着て、しっかり睫毛をあげて、髪を巻き、夫に買ってもらったお気に入りのヘアピンをつける。
ただそれだけで既にたのしい。
マスクだし、誰が見ているわけでもないし、だけれど、自分はしっかり見ているもので。
暑すぎる昼の町中は、あちこちに鮮やかなピンクが冴え冴え。
百日紅。なんでもないその辺の空にとてもきれい。
初めて見るジャムをふたつ買ったので、さて次の休みにはスコーンを焼こう。
これまた、いつも通りのたのしみ。 -
アートと生活はそう相容れないものでもないよなぁと、ふたつはとても近くに、在る、気がして。
生活があるということはどこかに不自由があって、あぁもう夕方だわとか明日も仕事だねとか。
自由は大事、しかし選択肢が多すぎる、というのはむしろ不自由で、
携帯のなかで買い物をするとき、もはや見きれない数の商品たちに、心踊るを通り越し、あぁ、永遠におすすめされて、ほとんど途方に暮れる。
ただやみくもに、多く長くあればいいというものでもなくて。
存在に気づくこと。目の前の些細なことを取り逃さないこと。
生活していない人なんていないのに、じゃあどうしてそこにアートが必要なのだろう。
最近読んだ、
地獄変。山月記。それから檸檬。
縫い目のことばかり考えている日々。
ふと、流れゆく洗剤の泡が偶然にきれいな形になって、流すのが惜しい一瞬。
休みの前日は、少しくらい夜遅くなってもいいわけで、あぁ作りたいものだらけ選択肢が多すぎ。却って夕飯なにつくろうに悩む。
けれども買い物前、つまりはあるもので無理やりのごはん、でした。
じゃがいも1つを牛乳で煮て、トマトピラフにのせて。
焼きドリア風。
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毎日、同じようなことばかり書いているのだろうと思うけれど、読み返すこともほとんどないのでわからない。
あくまで自分比において今日はよく働いて、こういう日は身体が疲れていても気持ちにおいては疲れていないなと思う。
とても眠い。
朝晩はほんのり涼しくなって、今朝はすこしの時間エアコンが消せたし、あぁそう過ごしやすくて眠いのかしら。
春眠、的な。
秋は夜長だというけれど、秋も、眠い。
明日はまた次の作業。
がんばろう。
何はなくとも、めきめき動いてぱたりと眠るのが、たぶん、一番いいのだ。