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なんとなくこの数年は、シミが出現してきた哀しみとともに老いがせつなく、
二十歳くらいのときとの違い、
自分にできることや合っているものがわかってきたと同時に、わからないこと、できないことだらけであるのを突き付けられる。
何にでもなれるような、若いもんねぇっていうのが自分のなかにない。
それは日に日に削がれていく。
二十七歳とは、若いのだか若くないのだか非常に曖昧。
初めて認識した母の年齢は、たぶん二十七歳くらいだった。
二十一歳でわたしを産んだ母の、あのころを思い返すとやっぱり、いまのわたしとはなんだかまるで違う。
ミュージシャンで、これくらいの年齢でいなくなってしまった人が多い。
生きているのだから日ごと削がれるそれも、しかし三十、四十、還暦を過ぎてからでもなにかを始める人はいる。
数字じゃないところの若さ。
どちらかというと年齢より上に見られることが多かった、そしてそれは嬉しいことだったのだけど、このところ、そうでもなくなったようで、夫みたいにやさしく大人でありたいけど、どうかもうシミ増えませんように。PR -
自分にまるで華がないとがっくりしてみて、しかし好きなものを見つめるとそれすらも、地味だといわれているものばかりだと気付き、
彼や彼らと同じなにかを持っているのかもなぁと思えたらあぁもう、全然それでいいやって。
Jackson Browneがとてもすきだ。
静かに過ごす昼の、なにひとつ華美でも特別でもない、きらきらしてないのだけど、やっぱりいい。
朝晩はエアコンを消し、昼間はすこし長く窓を開けられるようになった。
曇ってばっかりの秋の日。 -
簡単に、なんでもなさそうに見えることもそうではなかったりして、いや、なんでこんな簡単にできるはずのことがという刷り込みがあるから、いっそう却って難しい。
まっすぐ縫うだけ、という。
焼くだけ、とか。ただ切るだけ、とか。
子どもの頃、初めてハンバーグに挑戦したとき、見事にひっくり返すのに失敗し、残念なフライパンの中身、いいやこれはハナからミートソースなのよということにしてパスタを茹でて、美味しく作れたよしよしと、
あぁ結局耐えきれず、あのねこれ実はハンバーグにしたかったの、ってぺらり白状して、まぁ、言わなくともばれていただろうけれど。
そんなふう。
誤魔化せるものと誤魔化せないもの。
なにぶん、練習が足りないのだなぁ。
今夜は、トマトシチュウでした。
煮込み用の豚肩ロースと、野菜。
トマト味にすると、肉があまり得意でないわたしでも、さっぱりおいしく食べられる。 -
休日の昼、さて掃除しようか少し縫おうかと思いつつ、読書をする夫の隣で、わたしも本を読む。
なにもしなかったなぁ、とか、あぁこの時間にこれができたなぁとか、ひとつひとつが遅いと自覚があるぶん、隙間を埋めたくなってしまう。
もっとがんばれ自分、
なのだけど、その、せかせか、かさかさしてくる心のさまをやわらかくするのは、いつも、ゆっくりによるところ。
今日は食事も、いつもより、味わっていただきます、と意識する。
ゆっくり食べるとおいしくて、咀嚼ごと、気持ちがおだやかに落ち着いていくようで。
休み。
全身で噛み砕く。
はーあ、なんて贅沢なのかしら。 -
午後三時半、さぁコーヒー淹れようとお湯を沸かし、豆を挽きフィルターを折り、ドリッパーに入れ、さてケトルを持ったその瞬間、あっちの部屋でかけっぱなしの音楽が今、まさにイントロ!
次の曲の始まりと、ぴったり、重なった。
それがまた、もう好きで好きでどうしようもないくらいに好きな曲で(いいえそのアルバムは自分でかけたのだが)、はぁぁうっとり。
集中して、きちんとコーヒー淹れよう、と気持ちが整う。
革命前夜×アアルトブレンド。
今日はなかなか良い調子に縫えたし、二十六度、暑くないから掃除も料理もつらくない。
今夜はさつまいもごはんでした。
たくさんのせたさつまいもは、すこし取り分けてマッシュにして、バニラアイスと一緒にデザートにもした。
急に秋がきたかんじ。
予報外れに涼しい、幸福な日曜日。