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テレビをあまり見ないけど、ひとつとてもすきな番組がある。
BSのNHKでやっている、駅ピアノ。
駅に置いたピアノを通行人が弾く、という番組。
曲もいろいろ、弾く人の年齢も性別もいろいろで、場所が変わるとずいぶん曲のセレクトが変わったり。
知らない曲、よく聞く曲。
クラシックだけでもなく、ポップなの、すごく古いの、ときどきその人のオリジナル(当然知らない)もある。
今日はロンドンの駅だった。
ひとりの男性が、ベートーヴェンの歓喜の歌と、イングランドのサッカーのテーマを弾き、歌うのがよかった。
まわりの人たちを巻き込んで、一緒に弾こうって、歌おうって、なんというのかとにかくとても楽しそうで、あぁ、よかった。
わたしはピアノの先生の娘であるというのにそれをさっぱり弾けないのだけど、聞くのはとてもすき。
たまに、あ、これ昔母が弾いてたかも、がある。
今日は朝、パンケーキを焼いた。
こないだアンティークの美しい皿を買って、それにまぁえらく感動しているのだが、
しかしいつもの白い皿もやっぱりいいなぁと思って、あれもいいしこれもいいのだと知る。
統一感がない。
全然つつましくもない。
ちっともかっこよくないし、何にもならないようなことばっかりだけど、なんかこういうのはとても楽しい。
いろいろ、楽しんでいたいなと思う。
明日はスーパー行ったり無印行ったりの普通の日だけど、それも、楽しんでいたいなと思う。
皿の写真をここにも。
よく見ると女性が繕い物をしているようにも見える。PR -
日曜日になると雨が降る気がする。
今日も降ったりやんだり。
昨日の続き、切ったり縫ったり見たり。
見たり、において特に、昨日との違いを感じながら。
太陽の偉大さをまた思う。
桜は散ってしまうのかなぁ。
散りゆくあれもきれいだけどね。
でもそう近所で、八重桜のとてもきれいに咲くところがあるんだった。
見頃は染井吉野の後。
それもたのしみ。 -
縫い始める前、裁縫箱と布の箱のなかの整理を始めたら、思ったより時間がかかった。
でもすっきりした。
時間は短くなったけど、すっきりした気持ちで縫える。
チューリップは、開いてなかったらしい。
咲いてないんじゃなくて、咲いたあとで閉じたみたいだって、朝と夜は閉じるのかなって言う夫。
調べてみたら、朝と夜で閉じるんじゃなくて、気温が下がると閉じるらしい。傾熱性というらしい。
時間で咲いたり咲かなかったりするのは、朝顔だけだと思っていた。
朝晩と昼、寒暖差が大きいですね。
これが春なんだろうな。
チューリップが閉じるとともに、夫もまだしっかり上着が必要なよう。 -
夜桜を見た一昨日、そのほんのすこし先、歩道の脇に植わったチューリップの蕾が今にも開きそうで、白と黄色とふたつならんで、とてもかわいかった。
今日の昼出かけるのにそこを見たら、もうすっかりきれいに咲いて、となりには、一昨日は気づきもしなかった赤いのが一昨日のくらいに膨らんでいて、夫と、これもすぐに咲きそうねって話す。
で、今日の帰り夕方に見たら、白と黄色はもう開ききって散りかかり、赤が、ちらり、咲いていた!
なんてはやいのかしら。
だって初夏のような陽気。
今日は、ずっといいなぁと思っていながら、似合わないかなぁちょっと派手すぎるかなぁと抑えていたもの、つまりは欲しかったものを買った。
こないだ買った布といい、その前に買った春服といい、最近のわたしはどうも華やかなものに惹かれている。
あ、違うかな、
惹かれている、というよりは、本当はずっとずっとすきなのに諦めていた感じ。
実際のわたしは、この日記を読んでくれる方のイメージとはちょっと違うんじゃないかなぁと勝手に思っていて(むしろそれが自意識過剰ですよね)、
ちっともつつましくなくて呆れる。
どうしてこう、ほしいものや食べたいものに溢れているのだろうか。。
かわいいものがとてもすきです。
シンプルで機能性の良いものもすきだけれど、見ていてうっとりする、たのしくなるものは、必要なんかなくてもやっぱりとてもいい。
夫の連休が終わり、明日わたしは家から出ない予定(連休がまんしたぶん洗濯掃除まつりせねば)。
なので、明日夫に、あの赤いチューリップがどのくらい咲いたか見てきてねと頼んだ。 -
またぼんやりだらだらと、いろいろ考え込んでしまった今日。
トイレに飾ってある絵を見て、あ、そういえば昨日行ったお店に、同じ絵が飾ってあったのを思い出す。
ピカソの花の絵。
夫にもらったもの。
なんとなく救われるのはこういう瞬間だな。
あってもなくてもいいものを、やっぱりどうしても必要だなぁと思う。