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朝、遅く起きた休みの夫が、おはよう、の後すぐに、窓の外を見ながら、「曇りだ…。」と言った。
今にも降りそうにどんよりで、午後から予報通りに雨が降った。
蒸し暑く、重だるい金曜日。
雨にぴったりのスコーン食べながら、五月七日で粉の日っていうのかなと話す。スコーンは粉。
わたしは昨夜、うぐいすの鳴く夢を見た。
よく晴れた、あたたかな昼の戸外で、一羽ではなくたくさんの法法華経(法華経、になぞらえて聞いたのだそう。昔の人って素敵だわ)。
なんとも気持ちのいい目覚めだった。
今日はまるで違う天気であったけれど、窓の外にはやっぱり電線に、いつものセキレイが居た。
彼はなんと鳴くのだろう。
これほど身近なのに鳴き声のわからないあの子。
しかしまぁ、かわいい眺め。PR -
暑いと思ったら昨日が立夏。
よく晴れて、さわやかというより蒸し暑い。
ツツジの盛りも終わったのかなぁと歩いていたら、
花のきれいな近所のお宅に、まだ一輪も咲いてないけどのバラの葉っぱがぷっくりと、つやつやの深緑がとてもきれいだった。
緑、といってもいろいろ。
あの夢みたいにあわい薄きみどり色は、もうどこにもなくなってしまった。
また来年。
窓の外の、ずっと向こうに見えるひとつの大きな緑も、季節に見たから桜の木だと知っているけれど、知らなければただの緑のひとつ。
今日も、キャベツとレタスとほうれん草を買いました。
緑いろいろ。
キャベツの外側から二枚目三枚目くらいの緑が、とてもすきです。 -
昨夜、久しぶりにテレビでテニス中継をしていて、
夫と見たのだけど、試合中、選手が指を切ってしまうアクシデントがあり、治療のためにプレーが止まった。
なかなか血が止まらず、解説の人は、こんなのは珍しい光景だと言っていた。
夫に、きみはちょっと気持ち分かるんじゃない?と言われる。
わたしは血がなかなか止まらない体質のようで、ああやって傷口を塞いで、ほんの数分が永遠みたいに長く感じる気持ちはなんとなくわかる、と思う。
今日は朝、なんだか突然に片付け欲が湧いて、押入れのなかを整理してあちこち拭いて、いたら、
あらぬところ、尖った角に指をぶつけた。
まさに昨日のあの選手と同じく、プレー(片付け)を中断、対戦相手(やりかけの棚の物)を放置して、
あぁ、しかし珍しく、もない光景かも。
そんなわけで今日はスローな日に変更してしまった。
ちなみにその選手は昨日負けてしまい、それに勝ったほうの錦織選手も今日、負けてしまった。
テニス中継の音が好きなので、またしばらく見えないのがちょっと残念。
写真は全然関係なく、
夫の反応の良かった昨日の夕飯、つくね丼。
お豆腐いり、味噌塗って焼いて、黒米で野菜もりもり。 -
みどりの日。にぴったり、みどりの冴え冴えいい天気。
10代の頃にとても好きだった女性アーティストが、今も元気に歌っているのを知る。
もうずっと聞いていないので最近の曲はわからないけど、それでもちょっとうれしくなる。
変わっていくこと、は、
受け手としては変わっていくことに鈍いというのか、あまりに当たり前みたいに過ぎ去っていく。
聞く音楽が変わるのも、着る服が変わるのも、使う洗剤が変わるのと、あぁそう季節の変化と同じように。
ある意味、心にとっても生活の中でも大きな変化だけれど、ひとつひとつは小さい。
しかし自分の作るものや、出していく側として見ると、変わっていくことはとてもこわい。
昔のように出来ないという技術的な現実であったり、もうこれは違うなっていう自分の心や好みの変化。
そして受け容れてもらえるのかなと不安になる。
そういうのをしかし楽しめたら、良い悪いじゃないとして見れたら。
もうあまり聞かなくなったそれも、やっぱりきらいになったわけじゃなく。
生きていればどんどん、こういう記憶も増えていくのだな。
年に数回しか営業しないmelに、あ、このお名前!って思えるのも、皆さまにも変化ある中において、いつも、とてもありがたいと思っています。 -
今日も今日とて、スローモーションみたいにちまちま縫って、少しずつは完成が見えてきた。
数年前はこんなじゃなかったなって、もっと適当でいいから早くたくさん作った方がいいんだろうなって悩むのを、最近、この何ヵ月かな、ようやく辞められた。
時給にしたらとか、正しさとかを問うても仕方がない。
お金をいただくので仕事だという意識は大事、でもお金儲け、とは思わない。
美しいものを作ることがなにより。
日々働いてくれる夫に感謝。
明日もちまちま、がんばります。