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朝から晴れて、ちょっと寒くてさわやかで、これはいける、これは縫えると頭も冴えて、
洗濯掃除体操して、買い物行く前にさくっと、20分だけ手縫い。
きちんと縫い終えたらすごくすっきりして、昨日またうまくいかなくてもやもやしていたのが晴れた。
スーパーまで歩く道は、暑くも寒くもなくて、風もゆるく、日差しもまぶしくない。
やっぱり、晴れはいい。
午後帰ってからは、こないだ寒かった日に食べたくて買ったけどやっぱりどうも苦手で、残ったりんごを煮た。
パンにのせて食べよう。
こういうことをしてても暑くならなくて、うれしい。PR -
また雨。
天気につられて、なんとなくじめっと、ぼわっと、してしまうこの頃。
長袖だと暑いような、半袖だと寒いような。
晴れが恋しいですね。
明日はちょっとは期待できそう(もはや半信半疑)。
あぁ電気つけずに縫えるのは、除湿器仕舞えるのはいつかなぁ。 -
やっぱり涼しい。
今日も曇りだけど、ちょっぴり晴れ寄り。
昨日早くに寝たので身体も軽く、買い物行って、午後は縫って、普通でとてもいい日だった。
夕飯の鰹のタタキがおいしかった。
今夜も早く寝よう。
ポーチはもうちょっとで完成。 -
すこし前、一人で買い物に出た日に、外でケーキを食べた。
でもその日は家を出るのが遅くてあまり時間がなく、あぁ帰らなきゃスーパー寄らなきゃって、なんとなく落ち着かない気持ちで食べてしまった。
おいしかったけれど心から美味しいと思えなくて、あーあ。
買って帰って次の日に家で食べたカヌレのほうを、心から美味しかった。
美味しいものを食べるのと、美味しく食べることはイコールではない。
食べ物に限らず、心の余裕が大事。
最近、生活をもっと大事にしたいと思うのは、時間の使い方をなんとかしたいということで、
しかし一日がもしも30時間あったら余裕あるのかっていうと、たぶんその分また詰め込むから同じであろう、
その感じってね、いくら稼いでも際限なく使ってしまったら貯金できない、っていうのと似ていて、やっぱり、使い方。なんだろうなぁ。
スマホ見てぼんやり、している時間が一番なんにもならない、ってわかっている。
出来るところから時間をつくって、今度はゆっくり穏やかな気持ちでケーキ食べたいなと思う。 -
子どものころ、自分の足で行かれる範囲に本屋がなかったので(田舎)、月に一度の漫画の発売日は、母の帰りが待ち遠しくて仕方がなかった。
ちゃお、と、りぼん、の二冊を買って来てくれる夜。
まずわたしがちゃお、妹がりぼんを読んで、交換して読む。
一気に全部読んだらそのあとのひと月が長いから、ちょっとずつ読もうか、でも続きが気になって殆ど読んでしまっていたな。
その後、漫画からファッション雑誌になったけれど、中学に上がるくらいまではそんな風。
田舎の子どもの小さな世界で、大袈裟じゃなく、とても大きな楽しみだった。
昨日テレビのことを考えていて、
昔はCDショップも同じく近所になく、YouTubeも当然なかったから、好きな音楽を聞けるのもテレビ番組で一番だけとかで(カラオケに行くと二番が歌えない)。
だから、その音楽番組というものが、まぁどれほど楽しみだったか!一時停止して歌詞をノートに書いていたことすらある。
世の中がどんどん便利になって、自由になって、大人になると学区内とか言われないし、自分で車にのり電車にのり、
いつでも買いに行かれる。
スマホで何でも調べられるし、見たいものはいつでも見られる。
そうなって、どんどん楽しみが小さくなって、当たり前になり過ぎて。
なんか、不便は不便なりの良さがあったのかなぁって。
時代によるところもあるけど、
29年前でも夫は近所の本屋で自分で本を買っていたというから、場所によるものも大きいかな。
でも、どこにいても、どんな時代になっても、自分の心がけ。
当たり前じゃないってことを忘れないでいたいなと思う。
たのしいのハードルは、低い方がずっといい。