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甥っ子に会いに、京都に行ってきた。
東京、神奈川から出たのは母が倒れて以来。
退院祝いをしようねと言っていたら緊急事態宣言が出たのでそのままの、もうほとんど二年ぶり、になるのかな。
テレビ電話で話していた彼も、最後に会った日はまだ歩けなかったし喋らなかったのに、今日はもうとめどなく走り回り、喋り(騒ぎ)続ける。
どんどん大きくなってきて、なんだろうか、
会うとやっぱりもう本当にかわいくてかわいくてかわいくてかわいかった。
おばちゃんおじさんは帰るね、と言ったらわんわん泣いてしまった。
分かってはいたけどこちらもつらくなった。
さっき帰りに駅で、知らない子供のはしゃぐ声が聞こえた。
それがなんとも言えない、つらかった。
高齢の夫の母は、お正月の話をすると、やっぱりまだこわいと言う。
会いたいのと、会えないのと。
もう、なのか、まだ、なのか、いろんな気持ちがどれもわかる気がする。
どうにもセンチメンタルになってしまうけどね、
楽しかったな。
あんなに仲が良かった妹に会ったのも久しぶりだったし(毎日LINEはしている)。
クロワッサンをおいしそうにもりもり食べて、電車のまねをして、歌って踊って泣いて笑って怒って眠った甥っ子。
よく天使って言うけど、太陽なかんじがするな。
もうすぐ3歳になる。PR -
大きく鮮やかな楓の葉、かさかさと音を立てて流れる南風の昼、雨上がりの今日は明るくあたたかで、立冬を過ぎている感じがまるでしない。まだまだ秋っぽい。
コースターがひとつ完成した昨日。
ちょっとずつでも納得いくものができるとうれしい。
きれいだなぁと見上げた近所の街路樹。
いろいろ考えすぎず、おもしろがって暮らしたいなと、最近また。 -
昨日の朝、久しぶりにパンスコーンを焼いて食べた。
夕飯で蒸したじゃがいもを少し残してのポテトサラダと一緒にと、いつもどおりにバターと蜂蜜を並べた。
スコーンにしてもパンにしても、ホットケーキ、フレンチトースト、ともかくいつもいつも、バターと蜂蜜。
なんかもう、完全すぎて、他のなにかをとか何もない。
毎度、最後のひと口にはバターと蜂蜜で終わるのが好きで、しかしたまに、そこに迷う、
あぁバターだけにしようか、うーん蜂蜜もつけようか。
いちいち、本当に真剣に考える。
皿の上を睨み付けているときすらあるよう。
昨日もまさにそれだった。
ちょっと甘い生地だったので尚更迷って、バターはたっぷり蜂蜜はほんのすこしにして食べた。
なんてどうでもいい話なんでしょう。
ごはんにおいても同じ、絶対に、おかずでも味噌汁でもなくお米で終わりたい。
ってこれはおそらく多くの人がそうしているかな。
縫うことにおいて、遅い、気にしすぎる、っと悩んでいたけど、それに限った話でもないな。
食事ひとつにしても、いつも心の底から真剣にありたいと思っている。 -
ちょっと変わったことがあると余裕がなくなるのだけど、テレビ電話越しの甥っ子に癒された休日。
夫の母の誕生日。
いつ会えるかなぁ。 -
今日はお魚にしようと思ってスーパーに行って、日曜だからか人も多いけど商品も多い気がしてちょっとわくわく。
鮭でも焼こうか、またお刺身買って丼かカルパッチョかなと見ていて、目についた鯛のアラを買ってみて、鯛めしを炊く。
ちょっと下処理するくらいでそんなに大層手間なわけでもないのに、ご馳走っぽい!
いつだかのお正月に作って以来の味。
夫の反応も良かったし、また作ろう。
故郷ではまぁまぁよく食べた、と思う。
オーブンから出てくる塩釜焼きが好きだったな。
良い日でした。
立冬だったらしい。