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"文"カテゴリーの記事一覧

  • 思い出話その4・母のお弁当
    幼稚園のころの、今でもしっかり、一番うれしかった、ある日のお弁当。

    田舎のちいさな幼稚園、年長さん年少さん、先生、みんなで囲んで食べるお弁当の時間。いつものお弁当箱を開けたら、どんと、真っ黄色、大きなピカチュウがいた。

    今では当たり前になったキャラ弁というやつも、当時はまだあまり流行ってなかったし、普段のお弁当というと卵焼き、唐揚げ、ミートボール、ハムでキュウリを巻いたやつ、ほぐしたタラコ、そぼろごはん、プチトマト。とか。ご飯には大体ふりかけ、たまにおにぎり。至って普通。
    可愛いといえば、タコさんかカニさんのウインナーとウサギのりんご、チェリー、あとはピックくらいのものだった。

    それが、急に。
    一面にひろがる薄焼き卵のオムライスに、目や頰や口がつき、お箸ではなくスプーンが添えられ。
    元美術部副部長の本領発揮なのかしら、それはそれはもう完全にピカチュウで、えっ!とか、うわぁ!とかでは済まない、声の出ない、圧倒的な驚き。
    うわっ、さきちゃんのお弁当、なにそれ!!って、みんなが集まってきたあの光景。

    ピアノの先生をしていた母は、この曲弾いて!って言えばなんだって簡単に、お遊戯会では、ミニーちゃんの着ぐるみ着て弾いていたこともあった。
    結婚出産が早かったから、園で、小学校で、いつも一番若いママ。背が高く、器用で、幼いころのわたしにとって、自慢だった。

    と、言えるのはでも、今となっては、であって。

    やれお弁当のそぼろごはんは嫌だ、と肉だけよけて残したり、野菜をもっとやわらかくしてと泣いたり。ピアノも習わなかったし、もっと家にいてほしいとか我儘ばかり、好き嫌いばかりを言って。
    自慢だとか、母のようになりたいだなんて、素直には思えなかった。
    さきちゃんのママすごいね、と、人にいくら言われても。

    あーぁ、でも、あの頃の分のありがとうを、何回言ったって足りないんだろうな。
    そして母はきっと、ピカチュウのお弁当のことなんて憶えていないだろう。

    母とは、すごい。
    赤子を育てる、妹を見て、思うこと。
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  • 思い出話その3・家族旅行
    旅についてふたつ書いたけれど、子どもの頃は、旅行、というのは、実際、あんまり嬉しいものではなかった。

    ほとんど毎年、夏休みになると、祖父母があちこち(しかし祖父が飛行機嫌いなので車で行かれる範囲がほとんど)、連れて行ってくれて、みんなでわいわい、おいしいものを食べ、温泉に入り、城とか遺跡とか遺産とかを見る。
    宿題の日記にも書けるし、まさに完璧な家族旅行だったのだけど、ひとつ、問題なのが、そう、暑い。

    それももう、ちょっと暑いなぁのレベルではない、一年で最も暑いであろう八月の、晴天、しかも観光地なので人がわんさか。
    日焼け止め塗っても汗ですぐ落ちてしまう南国で、祖父の構えるカメラを見ながらも、まぶしすぎて、あぁ、はやく旅館に帰りたいぃ…。

    それこそ、松山城。
    暑くて暑くて暑い以外なにもないくらいに暑かった真昼、長い長い階段を、祖母と、汗を拭きあいっこしながら上まで登った。
    先を駆け上がる幼い従兄弟を見上げ、あぁどうしてたった六歳しか違わないのにあなたはそんなに爽やかなの…と、終わらない階段に半ば絶望して、あのとき汗を拭いたのは、ピンク色のタオルだった。
    そして肝心の城のことは、まったく憶えていない。

    十五年以上が経って、あんなにつらかったのに、どうしてかとてもいいものだったように思い返してしまう。
    あの旅もまた、あの旅も。

    母と妹と、三人で行った淡路島。ピカソの絵に祖母がえらく感動していた倉敷。もっとずーっと昔の、白浜でぼんやりと踊る人たちをみた、ハマブランカ。

    しかし結局。
    北海道で、暑いどころか肌寒いねって、ただひとり七分袖のカーディガンを持ってきていた母をうらやましく思ったあの夏が、馬に乗って、夜風にあたって。やっぱりいちばん、たのしかったような気がする。

    小樽で買ってもらったガラスは、今でもずっと、宝物です。
  • 思い出話その2・あついうみ
    旅についてもうひとつ。

    結婚前、だから20歳のとき、独身最後の旅をしよう!と、これまた大袈裟な名目でひとり、熱海に行った。

    ゆっくり起きて、午後から電車を乗り継いで行ける距離で、海にいきたいなぁ。温泉もあるといいなぁ。と、ふらっと行ったあれは二月の終わり。
    よく晴れてあたたかで、河津桜はもう散って、どこもかしこも、とにかく、寂れていた。

    あの後、熱海駅は綺麗になったとかで観光客が増えたと聞いたのだけど、わたしが行ったあの日は人も少なく、犬の散歩の人がすこしいるくらいで、海まで続く道も、商店街も、どこもがらがら。
    あーそういえばあれは火曜とか水曜とか、いちばん空いていそうな曜日だったかしら。

    お昼を遠に過ぎたころ、ホテルまでの道に見つけた、小さなお寿司屋さんに入った。
    人生初めての、回らないお寿司屋さん。
    がらがらどころか貸切状態のなか、カウンター越し、握ってくれるちょっと怖そうなご主人。木の皿に乗せた端から順に、ひとつひとつ、握りの種類を教えてくれる。
    にこやかな奥さんの運んでくれたお汁と、お茶と、ひとりで食べる寿司の、なにがって、あの、平目!

    海の近くで育ち、寿司はさんざん食べて育ったのだけど、平目、が家で出たことはあまりなく、あの、半透明!おいしくて、きれいで、はー、感動した、なぁ。

    ひとりきりの夕方、やっぱり貸切の露天風呂から海をながめ、湯上りに部屋のテレビでローカルのワイドショーを見て。
    翌朝の海も、モーニングに入った喫茶店も、時間が止まったように寂れているのに、どこか明るく、そして、終始あたたかだった。

    あぁ、これまた、行きたくなる、熱海。

    しかし。
    ほんの、泊まる少し前までこれは、ねっかい、と読むのだと思っていました。
  • 思い出話その1・名古屋
    こんな風だし、なんかちょっと現実と違うところの、思い出話とか自分のすきなものの話でも書こうかなぁと。
    長いし、いったい誰が興味があるのやら、だけれど…
    自粛生活でもう暇で暇で仕方がなくなったら、どうぞ。笑
    毎日なにかしら、書きます。

    ----------------------

    16歳の終わり、服屋でバイトしていたころ、一年で一番忙しいお正月の初売りを乗り越え、久しぶりにゆっくり連休がもらえた一月の末。
    どこか行こう!となって、ひとり、夜行バスをとった。

    四国から行ける遠く、というと、大阪神戸の向こうは東京か名古屋で、なんとなくたぶん、東京がこわかったのかしら、
    はじめてのひとり旅(というとなんとも大袈裟だけれと)は、名古屋だった。

    地下鉄も、ラッシュも、スタバも初めて見たこの日。
    大須観音にお参りして、当時好きだったヨーロッパの古いもの、服やアクセサリーを、バイト代しっかり使いきる勢いでもりもり買う。
    雑誌でしか知らなかった、はじめてみる美しきものたちに、本当にわくわくして、はぁ、こんな素敵なお店がこんなにたくさんあるなんて!

    荷物をたくさん抱えた夜。
    サラリーマンにまじって味噌煮込みうどんと味噌カツ食べて、お土産用のお菓子買って、ういろう買って、八丁味噌買って。シャチホコのついたキティのシャーペンまで買う。(たぶん妹にあげた)

    たった一日。
    あのショートトリップは、その後のものの価値観というのか、自分にとってすごく大きなものだったと思う。
    ひとりで、自由で。
    なにもこわくなくて、もう、とめどなくたのしくて!
    またバイトに、いつもの田舎の生活に戻っても、いろんな人がいる、いろんな生き方がある、という記憶。

    ちょうど一年後に、また同じ場所に行き、お店のお姉さんが覚えていてくれたのも、うれしかった。

    あのとき大須観音で絵馬に書いた願い事は、そういえば、叶ったのだなと思い出す。

    また行きたいなぁ。
    落ち着いたら。
    もうあんなにもりもり服は、買わないだろうけれど。笑
  • 歳をとるということ
    .
    なつかしいと感じるときに自分も若くないのだなと思うけれど、
    なつかしいはいつも、すきの向こうがわにあって、いまはもう全然聴いてない音楽とか、子どもの頃食べた玩具付きの甘いだけのお菓子とか、
    思い出が入るとそこに、120%美化されて、すばらしいものにかんじる。

    大人になったらなんでもできるようになると信じていた10代。
    寧ろ逆で、できることは減っていって、増えるのはしみとかしわとか傷あとばかりで。
    でもちゃんと好物が増えて、あのときこうだったねがあって、中身は幼いままだけど、あのころ想像していたよりずっと、自由でたのしい。

    歳をとるのもわるくないなと思う、
    25歳と7ヶ月。



    (photo diana mini)