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幼稚園のころの、今でもしっかり、一番うれしかった、ある日のお弁当。
田舎のちいさな幼稚園、年長さん年少さん、先生、みんなで囲んで食べるお弁当の時間。いつものお弁当箱を開けたら、どんと、真っ黄色、大きなピカチュウがいた。
今では当たり前になったキャラ弁というやつも、当時はまだあまり流行ってなかったし、普段のお弁当というと卵焼き、唐揚げ、ミートボール、ハムでキュウリを巻いたやつ、ほぐしたタラコ、そぼろごはん、プチトマト。とか。ご飯には大体ふりかけ、たまにおにぎり。至って普通。
可愛いといえば、タコさんかカニさんのウインナーとウサギのりんご、チェリー、あとはピックくらいのものだった。
それが、急に。
一面にひろがる薄焼き卵のオムライスに、目や頰や口がつき、お箸ではなくスプーンが添えられ。
元美術部副部長の本領発揮なのかしら、それはそれはもう完全にピカチュウで、えっ!とか、うわぁ!とかでは済まない、声の出ない、圧倒的な驚き。
うわっ、さきちゃんのお弁当、なにそれ!!って、みんなが集まってきたあの光景。
ピアノの先生をしていた母は、この曲弾いて!って言えばなんだって簡単に、お遊戯会では、ミニーちゃんの着ぐるみ着て弾いていたこともあった。
結婚出産が早かったから、園で、小学校で、いつも一番若いママ。背が高く、器用で、幼いころのわたしにとって、自慢だった。
と、言えるのはでも、今となっては、であって。
やれお弁当のそぼろごはんは嫌だ、と肉だけよけて残したり、野菜をもっとやわらかくしてと泣いたり。ピアノも習わなかったし、もっと家にいてほしいとか我儘ばかり、好き嫌いばかりを言って。
自慢だとか、母のようになりたいだなんて、素直には思えなかった。
さきちゃんのママすごいね、と、人にいくら言われても。
あーぁ、でも、あの頃の分のありがとうを、何回言ったって足りないんだろうな。
そして母はきっと、ピカチュウのお弁当のことなんて憶えていないだろう。
母とは、すごい。
赤子を育てる、妹を見て、思うこと。PR -
ブラックのコーヒーは、思い出せないくらい小さな頃から飲めたのに、無糖の紅茶はまるで薬のように感じ(あれがおいしいのだけど)、10代の終わりまでずっと飲めなかったなぁ、とか。
ウインナーコーヒーのはじまりの、あのクリームに当たる瞬間はとびきり幸福なのに、どうしたってあの終わりがなぁと思ってしまうとか。
寒い朝または昼間の、無糖の(ここが重要)カフェオレは、熱い風呂みたいに至高だなぁとか。
今年の冬はこれまた無糖のココアにはまって、シナモンとか生姜とか入れて、熱々を飲むのがおいしかったなぁとか。
へとへとに疲れた夕方の、カフェで頼む赤いストロー挿したグレープフルーツジュースは、ビタミンしみしみ全身に眩しいなぁとか。
あぁそしてまた、ただの炭酸水を飲むのがたのしみな季節だなぁとか。
子供の頃はカルピスと、すっぴんれもん、ミルクコーヒー、祖母の手作り酢橘ジュース。
飲み物というものを愛しているのですが、しかし、
実際、生活の中で一番よく飲んでいるのは、水、です。 -
ひとつ現実にもどって最近のことを書くと、
母がのびのびになっていた手術を終え、ようやく、これで経過をみてひと安心、というところまできたらしい。
お見舞いにも、退院祝いにも行けないこのご時世。
家族も面会不可なので、さみしいだろうなぁと思いきや、いつもどおりの母らしく、けろっとして、全身麻酔がとれたその数時間後にはもう、夕飯のちらし寿司がうれしいと写真を送ってきた。
昨日、また一週間ぶりに買い物に出かけ、小さくてきれいなしらす(小さいほうがおいしいと思う)、があったのでたくさん買って、ちょうど暑いし、茗荷と、今年初めて胡瓜も買って、簡単なちらし寿司を作った。
病院のそれとは違って地味なものだけれど、ほわっと、酢飯のにおい。いつまで経ってもなつかしい。
さわやかで、とてもおいしかった。
今日から五月。
春から初夏へ。
いつもより長い春、だった気がする。
縫って家事して、おいしいもの食べて。
気分転換の長い日記が、たのしいこの頃です。
また書きます、長くてごめんなさい。笑 -
旅についてふたつ書いたけれど、子どもの頃は、旅行、というのは、実際、あんまり嬉しいものではなかった。
ほとんど毎年、夏休みになると、祖父母があちこち(しかし祖父が飛行機嫌いなので車で行かれる範囲がほとんど)、連れて行ってくれて、みんなでわいわい、おいしいものを食べ、温泉に入り、城とか遺跡とか遺産とかを見る。
宿題の日記にも書けるし、まさに完璧な家族旅行だったのだけど、ひとつ、問題なのが、そう、暑い。
それももう、ちょっと暑いなぁのレベルではない、一年で最も暑いであろう八月の、晴天、しかも観光地なので人がわんさか。
日焼け止め塗っても汗ですぐ落ちてしまう南国で、祖父の構えるカメラを見ながらも、まぶしすぎて、あぁ、はやく旅館に帰りたいぃ…。
それこそ、松山城。
暑くて暑くて暑い以外なにもないくらいに暑かった真昼、長い長い階段を、祖母と、汗を拭きあいっこしながら上まで登った。
先を駆け上がる幼い従兄弟を見上げ、あぁどうしてたった六歳しか違わないのにあなたはそんなに爽やかなの…と、終わらない階段に半ば絶望して、あのとき汗を拭いたのは、ピンク色のタオルだった。
そして肝心の城のことは、まったく憶えていない。
十五年以上が経って、あんなにつらかったのに、どうしてかとてもいいものだったように思い返してしまう。
あの旅もまた、あの旅も。
母と妹と、三人で行った淡路島。ピカソの絵に祖母がえらく感動していた倉敷。もっとずーっと昔の、白浜でぼんやりと踊る人たちをみた、ハマブランカ。
しかし結局。
北海道で、暑いどころか肌寒いねって、ただひとり七分袖のカーディガンを持ってきていた母をうらやましく思ったあの夏が、馬に乗って、夜風にあたって。やっぱりいちばん、たのしかったような気がする。
小樽で買ってもらったガラスは、今でもずっと、宝物です。 -
旅についてもうひとつ。
結婚前、だから20歳のとき、独身最後の旅をしよう!と、これまた大袈裟な名目でひとり、熱海に行った。
ゆっくり起きて、午後から電車を乗り継いで行ける距離で、海にいきたいなぁ。温泉もあるといいなぁ。と、ふらっと行ったあれは二月の終わり。
よく晴れてあたたかで、河津桜はもう散って、どこもかしこも、とにかく、寂れていた。
あの後、熱海駅は綺麗になったとかで観光客が増えたと聞いたのだけど、わたしが行ったあの日は人も少なく、犬の散歩の人がすこしいるくらいで、海まで続く道も、商店街も、どこもがらがら。
あーそういえばあれは火曜とか水曜とか、いちばん空いていそうな曜日だったかしら。
お昼を遠に過ぎたころ、ホテルまでの道に見つけた、小さなお寿司屋さんに入った。
人生初めての、回らないお寿司屋さん。
がらがらどころか貸切状態のなか、カウンター越し、握ってくれるちょっと怖そうなご主人。木の皿に乗せた端から順に、ひとつひとつ、握りの種類を教えてくれる。
にこやかな奥さんの運んでくれたお汁と、お茶と、ひとりで食べる寿司の、なにがって、あの、平目!
海の近くで育ち、寿司はさんざん食べて育ったのだけど、平目、が家で出たことはあまりなく、あの、半透明!おいしくて、きれいで、はー、感動した、なぁ。
ひとりきりの夕方、やっぱり貸切の露天風呂から海をながめ、湯上りに部屋のテレビでローカルのワイドショーを見て。
翌朝の海も、モーニングに入った喫茶店も、時間が止まったように寂れているのに、どこか明るく、そして、終始あたたかだった。
あぁ、これまた、行きたくなる、熱海。
しかし。
ほんの、泊まる少し前までこれは、ねっかい、と読むのだと思っていました。