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晴れた晴れたってうきうき洗濯して掃除して、天気が悪い日に特に見づらい白いのをめきめき縫って、気づく、
そういえば前回のこの感じも、たしか日曜だった。
そしておなじくして、土曜はつめたい雨だった。
いつのまにか10月も下旬がこようとしていて、あっという間の秋、もう胡瓜食べたくないしアイスコーヒー飲みたくないし。
牛乳が入ったものを飲みたくなったら、秋そして冬なのだと毎年思う。
カフェオレとか、ミルクティーとか。
首はほとんど治った。
へんなふうに捻らないよう、とやめていた体操を再開したら、まぁなんてきつい、この数日でも変わるほどの筋力のなさったら。
またがんばろう。
どうしたって身体の強くないわたしだけれど、それに絶望しないでいたい。
これを読んでいる皆さんも、スマホ見ながら俯きすぎるのにはどうぞお気をつけて。
わたしはいま、画面を顔のところまであげて、二の腕が痩せるんではないかと思いながら(支えれば楽なのだけどこのぷるぷるがむしろあわよくば的に)、書いております。PR -
予報外れに晴れた午後、明るい窓辺で縫いながら、外の電線に鳩が三羽、とまっているのを見つける。
首がいたくならないよう定期的に上を向く、その度にちらりと外を見る、けれどさっきと何も変わらぬ様子の三羽。
特に左端の一羽は、小一時間、寸分も違わずその細い線の上だというのにしっかり座っているようで、あれはもはや、ソファでくつろぐような感じなのかしら。
おばあちゃんとかおじいちゃんなのかしら。
全然動かないねって夫に言ってみて、でもあちらから見るわたしたちも、全然動かないねと言われていそうな気がする。
まさに平和の象徴。
むずかしいこと、いやなこと、はどうしたって起きてしまうけれど、自分自身を穏やかに保つことが、相手や周りの穏やかにもつながる。
ひさしぶりに雨に濡れなくて、鳩も気持ちよく座っていられたのだろうな。
明日はまた雨で、寒いらしいけれど、静かに穏やかに雨宿り、そんな一日にしよう。
平和の象徴。
鳩みたいにね。 -
また長雨、週間予報にオレンジがなくなって、寒暖差もあるし、なんだかなぁ、どんよりばかりな秋の日。
今日も一日中部屋が暗く、縫い目が見づらく、もうあきらめて朝からお菓子でも焼こうか、傘を差してどこかに出掛けようか、とか思ったのだけど、
きのう縫ったクロスにアイロンをかけていたらなんだかやる気になってきて、ミシンの前に座り、予定通り、目標まで縫い終える。
自分ひとりでずっといる、というのは際限がなくて、主婦とはみんなそうだけれど、この日が休み!とか、出勤時間!とか。
遅刻したら怒られる、みたいなきっちりしたものがないので、いくらでもだらけてしまうし、逆に永遠に、息をつけなくもなる。
待っていてくれるお客さまに、外で働いてくれている夫に(だってあの人は今日も電車でそして雨にぬれて帰ってくるのだ)、そうだわたしは感謝の気持ちが足りないのだと気づく。
きちんとやろう。
やりづらいことと出来ないことは違うのだし、捗るとかじゃない、
自分で、自分を律する。
きちんと働く。きちんと休む。
予定通り夕方にコーヒーを淹れて、なにかお菓子を焼こうっと。 -
夫の休日、以外の昼間はいつもひとりで、それに慣れているし、ひとりが好きだし、たいていのお店や場所にはひとりで入れるタイプなの、だけれど、
ごく珠に友人と会うとか、家族とご飯を食べよう、とかの楽しさはまた、代えようのないもので。
それがかなわない今年。
いや誰しもそうですね。
ここまで人に会わなかったことはない。
夫の母から、今度のお正月は、皆で集まるのはやめておきましょうねと電話があった。
近所でおせちの予約の始まったのを見たらしい。
まだこわいの、という母に、なにもしてあげられないこの感じ。電車で30分もかからない距離に住んでいるのに、とても、とても遠い。
無論予想はしていたけれど。
わたしの母や妹やはもっと遠く、こんなとき、自分で決めて上京してきたくせに、家族がすぐ近くに住んでいる人をちょっと、うらやましく思えてしまう。
後悔したくない。傷つけたくない。
電話とかラインとか、しかできないけれど、それがあってよかったと感謝する。
来月は、夫の母の誕生日。
81になる。
宅配でお花を贈ろう。
電話をかけよう。
今度のお正月は、再来年にむけて、おせち料理の練習でもしようかしら。
健康を願って、の黒豆とか。縁起物。
こんなときこそ必要な気がするのだよなぁ。 -
雨上がり、曇っているけど空が明るい!
待ってましたと飛び起きて洗濯祭り、網戸もサッシもきれいにして、あぁすっきり、なんかわたしいつもこうだなぁ、めんどくさいなぁ単純だなぁと思う朝。
雨が苦手だ。
こればっかりはどうしようもない。
雨が降らないと生きていけない、川の多い土地に育ったからあまり実感はなかったのだけど、隣の県では、雨が少ないと水が足りないと、それはそれは大変そうだった。
首の痛みも今日は軽い。
病は気から、なのか、気圧によるものかしら。
痛いところのあるときにつらいのは、痛いそのものよりもむしろ、あれをしてはいけないこれをしてはいけないと制限されることで、
無理は禁物しかしどうにかなる範囲なら、えいやっと少しがんばってみたら、あぁできた!というあの、悦なかんじ!が待っていて、
やっぱり、やりたいことはやろう、と思う。
正しくなんてなくて全然いい。
いろいろなことに左右されてめんどくさい自分は、自分のやり方で整えていくしかない。
窓を開け、好きな音楽かけて、気分をあげる。
さ、がんばりましょう!
痛みに負けるな!